遺構を見る城跡紀行  【土塁】編 | 落人の夜話

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城跡紀行家(自称)落人の
お城めぐりとご当地めぐり

ちょっと汗ばむ気候になってまいりましたね。

夏になると城跡に行きにくくなる(虫と藪のため)ので、ただそれだけの理由で、個人的に夏は好きじゃないんですよね。。

 

さて今回はまた城跡紀行家(自称)の私が過去に訪ねた城跡の写真を並べ、あーだこーだと勝手に解説するシリーズ。

前回の【堀】につづき、第二弾は【土塁】でございます。

 

なお、ご指摘を受け写真のサイズをちょっとだけ大きくしてみました^^;

 

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「城」という字は土から成ると書く通り、古来、城は土を掘ったり盛ったりして築かれるものでありました。

当然ながら【土塁】もまた、城を構成する基本的な要素のひとつとなります。

 

【土塁】の役割として最もポピュラーなのは、敵を防ぐ防壁です。

古代の山城では「版築」と言われる工法で築かれた【土塁】が知られていますが、本来「版築」工法とは、土を木枠に入れて重層的に叩き締め、少しずつ高く盛ってゆくというもの。

古代中国の城壁に使われていた工法ですね。

 

しかしこの工法は、頑丈な土塁を築けるかわりに膨大な時間と資材と労力を要する上、環境的な制約もあります。

そのせいか、日本では徐々に厳密なやり方での「版築」は採用されなくなったようです。

 

中世日本での土塁の作り方は、大きく二種類に分けられます。

まず土を盛って積んでゆく「掻き揚げ土塁」、それに地表面の一部を削り残す「削り残し土塁」です。

 

 

堀越城(青森県)にて。

復元された「掻き上げ土塁」。

 

「掻き上げ土塁」は「版築」の簡易版みたいなもので、土を重ねてつき固めてゆく工程には変わりありません。

ただ木枠などは使わず、よりコスパ重視のものとなっていて、代わりに芝や草木を貼るなどして法面の崩落を防いだ場合もあるようです。

 

 

 

天神山城(富山県)にて。

「削り残し土塁」の跡。

 

一方で「削り残し土塁」はその名の通り、山や丘の地表を削ってゆくなかで、一部を削り残して土塁としたもの。

分かりにくいかも知れませんが上の写真、私が下手くそな水色の書き込みをした部分が本来の地表に近い高さ。そこを削って平地を作る一方、写真でいえば左側の端を削り残して【土塁】とした痕跡が見られます。

 

 

興国寺城(静岡県)にて。

本丸を囲む「削り残し土塁」。

 

こちらの例だともうちょっと分かりやすいでしょうか。

舌状台地の中央部分をくり貫くように削平して本丸を作り、周囲三方を削り残して【土塁】としています。もしかしたらその上に更に土を積み増し、高さを出しているかも知れません。

 

本丸の壁ひとつ向こうはもう城外で、この高く分厚い【土塁】に、防衛上大きな信頼が寄せられていたことがわかりますよね。

 

 

芥川山城(大阪府)にて。

斜面を登る「竪土塁」。

 

前回の【堀】もそうでしたが、山城などでは斜面に沿って縦に走らせる【土塁】も見られます。

写真の例は必ずしも防壁としてのみならず、一種の仕切りとしても活用したのかも知れません。他方、前回ご紹介した「竪堀」と合わせてより防御性能を高めた例もあります。

 

 

玄蕃尾城(滋賀県)にて。

複雑に折れ曲がる【土塁】。

 

時代がくだり、築城術が進化してゆくなかで、【土塁】というパーツの使われ方も発展してゆきます。

写真の玄蕃尾城賤ヶ岳合戦(天正11年:1583)の際、柴田勝家が構築した陣城で、いわゆる「横矢」を意識した折れを多用しています。

 

陣城は合戦を有利にするための臨時の砦ですから、築城にあたってはスピード感と実戦での性能が求められます。

いかに効果的な築城をするかが合戦の勝敗にも結びつくわけで、【土塁】の組み方も複雑功緻なものになってゆきます。

 

 

鉢形城(埼玉県)にて。

内側に石を積んで補強した「石積み土塁」。

 

【土塁】は土を盛ったものですから耐久性への課題は当然あって、それに対する工夫が見られる例もあります。

戦国時代になるとさすがに古代山城式の「版築」は時代遅れで、代わりにこうした石積みを併用した例が見られるようにもなります。

のちに土塁の上に石垣をのせる「鉢巻石垣」へ発展する素地になったかも知れませんね。

 

 

谷戸城(山梨県)にて。

鉄炮を意識した「胸壁土塁」。

 

時代とともに合戦の主体が鉄炮となると、土塁の役割もまた多様になってきます。

写真は城郭研究者の西股総生氏が「胸壁土塁」と呼んでいるもので、ご覧の通り従来の【土塁】のイメージからすると、高さも厚さも中途半端に見えます。

が、谷戸城天正壬午の乱(天正10年:1582)の際に北条方の拠点となった城で、おそらく守備兵が鉄炮を構える際の胸壁として築いたものであろう、というのが西股氏の意見。

私もその説に大いに説得力を感じます。

 

 

八浜城(岡山県)にて。

【土塁】と【堀】に木橋をかけた活用例。

 

土を盛る【土塁】が生み出す高低差は【堀】との併用を容易にし、より障害性を高めます。

一方で城兵側から見れば、それに加えてスムーズな出入りも確保されなければならない訳で、写真の例は想像復元を兼ねたものでもありましょうが、なかなか説得力のあるものと映ります。

 

 

高田城(新潟県)にて。

天守台としての【土塁】。

 

【土塁】の延長線上に櫓台が設けられ、櫓を支えている例は城跡でよく見かけます。

ただ天守閣となると、一般的にはしっかりした石垣で支えられているイメージだと思うんですが、そうでない例もあります。

写真の高田城などがそれで、【土塁】が直接天守を支えている様子がわかりますよね。

 

これを見ていとおしさを感じ、

「土塁だって…やればできるんだぞ!」

みたいな声が聞こえてくるようなら、あなたは立派な城マニアです。

 

 

木戸城(福島県)にて。

藪に埋もれた【土塁】。

 

さて。

ここまで読んで下さった皆さまであれば、よもやこの写真をみて「ただの藪」とは思われますまい。

 

えっ!?Σ(゜Д゜)

 

まさか…

いや…まあまあ。

気の迷いは誰しもあること。

たとえ一瞬はそう思ってしまわれたとしても、どうか心を澄まし、改めて【土塁】への、いや城跡そのものへの愛を深めて心眼で見てください。

 

 

…どうです?

 

見えたでしょう?

見えましたよね?

 

あー良かった。( ´∀`)ホッ

 

そーなんですよ。

私みたいな城マニアが過去の写真を並べてみると、なんだか藪だらけで感動が伝えにくいったらありゃしない。でも別に藪が好きなんじゃなくて、埋もれた遺構をこの目で確かめたくて藪も辞さずに歩いてたら、なぜかこんな写真になるというだけの話なんですよね。

今回はそんな中で点在している、比較的分かりやすい遺構の写真をお出ししましたが、こうして草刈りや整備がされている城跡はたいへん有難く、一歩一歩、感謝の気持ちで歩んでおります。

 

 

という訳で、城跡紀行家(自称)の私が勝手に語る遺構解説。

今回は【土塁】編でした。

 

また気が向いたらお付き合いくださいませ。

では皆さん、よい旅を^^