遺構を見る城跡紀行 【堀】編 | 落人の夜話
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城跡紀行家(自称)落人の
お城めぐりとご当地めぐり

近年はお城ブームで、城跡を特集する番組や書籍は世に充実しております。

私としてもそれはそれで面白いんですが、やはり現地を歩く楽しさにはかないません。

そう、お城めぐりの醍醐味はフィールドワークにあるのです。

 

ただ城跡といっても千差万別で、天守閣がそびえ建つ分かりやすい城跡もあれば、ただの山か藪みたいな分かりにくい城跡もあります。

そしてこの趣味は年季が増すほどマニアックな山や藪に入りこんで行きたがるものでして、かく言う私もその一人でございます。

 

なにが面白いのかと思われそうですけども、私などはそこにかつて城があった痕跡を探しているのです。

城跡は昔の軍事拠点ですから、敵の侵入を阻止する仕掛けがいろいろあって、その痕跡が遺構です。具体的には【堀】とか【土塁】とかの跡ですね。

 

中でも【堀】なんてのは最も古い防備のひとつで、縄文時代の「環濠集落」なんかはその名の通り、ムラを堀で囲んで外敵を防いだ痕跡でもありますよね。

 

吉野ヶ里遺跡(佐賀県)にて。

ムラを囲む環濠。

 

ということで。

今回は城跡紀行家(自称)の私が、過去に歩いた遺構の写真を並べて勝手に解説してみたいと思います。

 

あ、先に言っておきますけど、武漢コロナ禍のせいで趣味活動の機会が減りストレスが溜まってるマニアの憂さ晴らしみたいな内容です(;´д`)

ツッコミ歓迎ですが、ご興味のない方はスルー…

あ、いや、できればこれをご縁に興味を持ってやろうと思っていただけると幸いです。

 

ではまず【堀】から…

 

**********

 

【堀】にもいろんな形態があって、一番シンプルなのは「堀切」でしょう。

 

高原諏訪城(岐阜県)にて。

尾根筋を断ち切る「堀切」。 

 

山や丘での築城によく使われる「堀切」。

山や丘では高低差そのものが敵を防ぐ防壁になるんですが、尾根筋など登城しやすい部分は敵にとっても接近しやすいルートになります。そこを遮断するのが「堀切」です。

 

「堀切」は少ない労力で作りやすく、土砂の始末も容易。コスパがいいことから、特に中小規模の山城跡なんかでは多用されたようです。

 

 

高根城(静岡県)にて。

尾根筋の「二重堀切」。

 

シンプルな「堀切」とはいえ時代が下ると工夫も出てきて、二重三重に刻んでくる例もあります。

上の写真は高根城という小さな山城に残る「二重堀切」。こんなのを見ると、ああ、ここは「絶対越されたくないライン」だったんだなあと感じますよね。

 

 

興国寺城(静岡県)にて。

高土塁から見下ろす「大堀切」。

 

さらに「堀切」も土木量が大きければ大迫力で、例えば興国寺城(静岡県)の「大堀切」などは圧巻です。

この城は段丘の先端を利用して築かれてるんですが、地続きになった城の背後を巨大な「堀切」で切断し、掘る際に出た土砂はそのまま城内側の大土塁に転用しています。

 

大土塁の上から下を見下ろすと目眩のするような高低差で、一般的な「堀切」と比べると猫と象ほど違いを感じます。

こうした感動はやはり現地で実感するほかないんですよねえ。

 

 

小幡城(茨城県)にて。

曲輪の間をめぐる「横堀」。

 

一方、曲輪を囲うように掘られたものが「横堀」で、地形的に高低差の少ない平地でよく用いられたようです。

「堀切」より手間がかかりますし、時代としては戦国時代後期にくだる例が多いようですが、迷路のように横堀を巡らせた城跡もあります。

こうした遺構がしっかり残っているところはぐるぐる歩き回りたくなります(^^)

 

 

大湯城(秋田県)にて。

空堀の底を通る「堀底道」。

 

堀の底を道にしてしまっている場合もあって、「堀底道」と呼ばれます。

まあ効率的なやり方で、曲輪に挟まれた「堀底道」は平時は生活道、戦時は敵を誘導して殲滅する“キルゾーン”として機能する訳です。

そう考えると恐ろしい場所ですよねえ。

 

 

皆川城(栃木県)にて。

大規模な「竪堀」。

 

山の斜面に沿って縦に掘っている「竪堀」。

一般的には横に掘るイメージが強い【堀】ですが、戦国時代の山城では、斜面を縦に切る「竪堀」も数多く例があります。敵兵の横移動を防ぐため等で設けられたようです。

今は底もまるくなってますけども、本来の堀底はもっと鋭角に掘り込まれて「薬研堀」のようになってたみたいです。

 

 

大葉沢城(新潟県)にて。

連続する「畝状竪堀」。

 

で、複数の「竪堀」を連ねたのが、みんな大好き「畝状竪堀」です。

緩斜面をデッドスペース化して攻めにくくする、敵に縦列を強いて守りやすくする等の効果が期待されたそうですが、一番すごいのはやっぱり見た目のインパクトじゃないですかねえ( ´∀`)

 

これがしっかり残ってる遺構は少なくて、たどり着けたときのワクワク感といったら…

お城ファンの方ならこの気持ち、分かってくれますよね( ・∇・)

 

 

山中城(静岡県)にて。

ワッフルみたいな「障子堀」。

 

さらにワクワクといえば「障子堀」。

堀の底に衝立のように小さな土塁をつくり、堀底に降りた敵兵をモタモタさせる仕掛けです。

もちろんモタモタしてる間に城側から矢や鉄炮が飛んでくる訳で、これまた恐ろしい仕掛けですよ。

 

例としては写真の山中城が有名で、ここまで復元し見学もできる場所を他に知りません。

ただ戦国時代には広く使用されてたようで、豊臣時代の大坂城の堀底でも「障子堀」が発掘されてましたね。

 

 

撫川城(岡山県)にて。

幅の大きい「水堀」。

 

【堀】に水が引ける場合は「水堀」になります。

その場合は水自体が障害になりますから、深く掘る必要もないかわりに幅が物をいいます。

なので実は水深は浅いけども、幅は10m以上あるみたいな形も見られます。

近世以前では天然の湖沼や水田を利用する場合が多いんですが、近世以降では工事を加えて川から水を引く例も多くなり、姫路城彦根城など有名城郭とセットで“映える”堀になってゆきますね(^^)

 

 

とまあ、とめどなくなりますからこの辺にするといたしまして。

【堀】ひとつ見つけても、マニアにはこうした種類の違いや変化なんかを感じ、あーだこーだと吟味する楽しみがある訳です。

 

ああ、また旅に出たくなりますねえ。

でもこうして書き連ねてみると、ちょっと旅に出た気分になって少しは癒されます(^^)

武漢コロナの感染予防には十分注意しつつ、皆さんにもよい旅がありますように。