兵庫に住んでる久美ちゃんとは、箱根駅伝の駒大応援サイトで6年前に知り合った。あのとき知り合った、HP管理人のショー子さんと、もっちさんとゆこちゃんとは今でもすっごく仲良しで、みんな駒大の応援はやめたけどいつもお互いにメールしたり、電話したり、会ったりしてる。


私が東京に引っ越してきて、暇だった私のネット友達第一号の4人だけど、そのときはまだ、病名が判明してなかったから、一緒に陸上観戦したりして楽しかった。元気だった私がどんどん具合が悪くなって、ずっとベッドから起き上がれなくて、あっちのv病院、こっちの病院と検査しまくってて、「鉄欠乏性貧血」とか、「リウマチ」とか、「五十肩」とか、いろいろと誤診を受けてたことも、みんな全部知ってる。特にあの頃、久美ちゃんと一番よく、メールしてたから、久美ちゃんが一番知ってたと思う。


そんな私が、2004年の11月10日、「脊髄小脳変性症」と言われて、すぐに久美ちゃんにメールしたら、最初くみちゃんは「病は気ですから」というメールをくれた。世の中には、気合いで治る病気ばかりじゃない。あのときまだ高校生だった久美ちゃんには、それ以外言いようがなかったんだと思うけど、久美ちゃんは今でもそう言ったことをとっても恥しがってる。


でも、私は「脊髄小脳変性症」という病気を知らない人間なら、当然の言葉だし、恥ずかしく思うことはないと思う。私の病名がわかってからすぐに「1リットルの涙」のドラマがあって、そのドラマを見た人は、不治の病がいまだにあるんだと言うことを知ってくれたから、ラッキーだったなと思う。


あれから4年経って未だに、私とみんなは仲良くしてくれてて、ああやって「東京の母」って呼んでくれてる。知り合ったとき、高校生だった久美ちゃんは、来年4月から銀行員。頑張ってね。ホント、私って幸せだよね。うん。