過去、私って理想主義だったのだろうとおもう。
自分の人生、自分の生活、
満足とは一瞬のもので、すぐに理想が崩れてしまう。
そんな私が、占いで
自分の未来に、とてつもない贅沢な生活が待っていると
そういう話を聞いてから、
ますます持って、現在の自分に満足しなくなった。
こんなのちがう、こんなの本当の幸せじゃない。
私にはもっとちがう、
今とは比べものにならないような生活が待っている。
そんな風に思っていた。
でもね・・・何年たっても、その生活が実現しないのよ。
いつ、あの先生の占いは当たるんだろう・・
いつ、あの先生の言っていたことは現実になるんだろう・・・
と、指折り数えて楽しみにしていたりもした。
でも、、何年たっても当たらない。
私が占い師の先生たちから聞いていた未来。
未来を共にするパートナーが現れるとされるその人の様子。
それは、今とはまったく違う生活、まったくちがうレベル。
だけど、カーマデーヴァ先生に話したら
それらの先生方は、実現する現実を語ったのではなく
思念を語ったのであって、その思念は理想だというの。
だから、それらは理想であって、現実ではない。
現実とはもっと違うものなんですよと、解明してくれたの。
言われてみれば、なんだかわかる。
私の未来、私のパートナーという人の状況、
それらが、夢見ていたものとは、大きくかけ離れたとしても
なんだか、カーマデーヴァ先生の話は
現実味を帯びていて、そのほうがありえると思える。
軽い残念感はあるにせよ、
大きく夢見すぎたり、大きく期待しすぎたりしないで
現在からの近い未来を堅実的に受け止めていったほうが
本来の希望が叶う確立があがるのだって
そのかけ離れた理想から、現実にひきさげたら叶うのだって。
そう聴いたら
地に足をつけて、現実から繋がっていく可能性の未来や
現在を満足して、生きれるようになってきた。
何も、高級な外車に乗れる贅沢な暮らしを望まなくても
心底好きになった人と、慎ましやかでも
円満な生活ができれば、それだけで幸せだろう。
子供たちと寄り添って生きている生活。
これが、私の幸せなんだ。
つつましやかだけど、生活がある。
これが、私の人生なんだ。
今の私は、今を満足して生きています。
いつか、私を迎えにきてくれるという あなたへ
私は現実のあなたのありのままを受け止めます