カッサーノのニューロリハ〜脳卒中リハビリを考える〜 -4ページ目

カッサーノのニューロリハ〜脳卒中リハビリを考える〜

特に回復期〜維持期にかけ、脳卒中リハビリを本気で考えていきます。私の目的は【脳卒中の方が障害をもった中でも、地域でいきいきと生活する】そのために機能改善〜生活、予防まで考えていきたいと思います。いろいろな方と情報交換ができたと思います。

今日当院にて、あるカンファレンスがありました。このカンファは急性期・回復期・維持期のセラピストが集まり、ある症例さんがどのような経過を追ったのか、それぞれの時期においてどのような関わりをしたのか?を知るカンファです。




僕はこのカンファがとても好きで、結局回復期を退院した患者さんがどうなってるの?と知ることができるからです。




今回は珍しい脳梁離断症状が顕著な症例さんでした。ACA梗塞ですね。




少し脳の話から・・・




まずはACA梗塞とは前頭葉の内側面の梗塞です。


主な損傷部位は、腹内側前頭葉前野、脳梁、帯状回、補足運動野、1次運動野(下肢領域)です。




この範囲が広いか狭いか、上か下か、偏ってるかで、下肢の麻痺の程度や、脳梁離断症状や失語や、失行の程度などの症状の違いが現れます。




今回の症例さんも、拮抗失行、強制把握、道具の強制使用、観念失行、下肢の麻痺がありました。




しかし特徴的なのが、回復期に入り、やる気をみるみるなくしたこと。


人の提案や指導には拒否的になりやすく発動性が低いが、自分の欲求には発動性が高い。


そして老健にいったらやる気を取り戻した。。。




この方は頭の良い方でプライドも高い方だったようです。


リハの方からは、


・回復の希望が強い。


・道具の強制使用も理解はしていたが、なぜ起こるのかわからず戸惑っている


・失行のため学習が困難(手順を覚えらない、歩行の杖の使い方もヘタ・・・)




などなど。






何が言いたいかといいますと、この方は、回復期病院で良くならず、老健に行ったら良くなった症例です。


僕は悔しかったです。回復させる所で悪くになり、リハが十分にできない所でよくなってしまう。


単なる環境の違いでしょうか?障害受容のタイミングの問題しょうか?




でもこういう患者さん回復期には必ずいます。


そんな患者さんに私たち回復期は何をしなければいけないのでしょうか?そういうことを考えられるカンファレンスでとても良かったです。




・なぜやる気がみるみる低下し、リハビリに拒否的になったのでしょうか?


・本人さんのhopeに沿ったアプローチだったのでしょうか?


・本人さんのストレスとなる生活の様子で改善策はなかったのでしょうか?


・精神的に落ち込む時期に、チームとして集まって話し合いは設けたのでしょうか?


・こちらが○○してくださいというリハではなく、本人さんのやりたいことを引き出すような関わりができていたのでしょうか?




本当に情動や信頼関係が重要だったケースでした。


老健のPTさんは、ただ寄り添って話を聞いたそうです。最初は少しそのPTさんをうざかっていましたが、徐々に小さな頼みごとをするようになり、徐々に自分からやれること、できることをするようになり、PTさんが提案した俳句の読み(hopeは確か手紙?俳句?を書く事)、そして断絶していたほかの入居者を話すようになり、行事に参加したり、歌を歌ったり、急須を左手にもち右手にコップを持ちお茶を入れてくれたり(この時点で拮抗失行等はなくなっている)、最終的に笑顔の写真をみせてくださいました。




特別なことはしていません。しかも3ヶ月たらずで変わりました。




この方は自分がしたいと思えたら行動ができる方です。


でも病院ではできませんでした。




こういう前頭葉内側面の方の特徴として、やる気の問題があります。つまり報酬です。


人は報酬があれば行動しますが、報酬がないと判断すればなかなか動きません。だから特に左ACA梗塞では発動性の低下も起こります。




前帯状回(ACC)がキー領域ですが、ここは「心理的な快・不快」の評価をするところです


たとえば


・心理的な痛み→他人が刃物で刺されるときに自分も痛い感覚を味わう


・金銭的な損失(相対的な損失も含め)→ギャンブルで負ける


・情動的な刺激


・うそをついたとき


・矛盾を感じたとき




このような時に前帯状回は働きますが、この方はここの機能が働きにくい状態でした。


だから報酬の価値判断が上手く処理できず、情動的に嫌なものや嫌、自分がしたいことはやるというような行動特性だったと思います。もちろんACCだけでなく、内側前頭前野も損傷していましたので、これらを含めた意思決定だったと思います。


加えて失行や補足運動野の損傷で新奇な学習もエラー続きで。


ただこの方の特徴が脳梁離断症状がかなり顕著にでていたことです。画像的にもまさしくでした。






ただ、結果は病院では上手くリハが進まず、老健では笑顔でその人らしさを取り戻したことです。




これを重々受け止め、僕たち回復期のセラピストもこういう方には、何が本質的に大事なのかを考えて介入していかなければならないと感じたと思います。








ただ追記するとすれば、ACA領域の梗塞の患者さんは、大枠で捉えると似てる症状も多いです。これらがわかっているとまた介入も変わってくると思います。だから脳の機能解剖が大事なんです。で占めたいと思います笑。




ACA梗塞のポイント


・心理的報酬の価値判断が難しくなる、情動的判断が意思決定に大きな要素を占める?


→人の示指を拒否的になりやすい


・動作の手順や新奇な課題の定着には時間を要する可能性が高い


・発動性が低くなりやすい




このような情動的・精神的機能に考慮した関わりが大切ですね。




それに失行や失語等の高次脳機能障害、そして下肢の麻痺という運動機能障害が伴う病態と解釈できます。






以上!最後までよんでいただきありがとうございました。







ここは変だ!シリーズ笑



僕は1年目の頃からずっと思っていたことがあります。


それは



歩行自立(orかなり上手)だが、失行やUSN、失語の高次機能がメインの患者さんに、なんてPTは無力なのだろう。。。と



でも、それはただ知らないから治療やリハビリができないだけなんです。



だから逃げるのです。



体力訓練に



僕、いや少なからずあると思います。


例えば、独歩フリーだけどウェルニッケ失語が強い患者さんに、重箱の隅をつつくようなバランス練習をしたり、体の柔軟性を出したり、入院中は体力が減るからエアロバイクこいだり。



往々にして、ぼくらは正当化します。


確かに柔軟性出すことはやらないより、やったほうがいいです。

有酸素運動して、BDNFを出すんだ!、STのリハ等でストレスを運動で解消するんだ!


みたいな。




本当に、家族や本人は望んでいるのでしょうか?



ぼくらはそのようなリハでお金をとっています。


本当にいいのでしょうか?



高次脳機能の病態解釈や(STレベルにはできなくても)言語や失行の訓練、それができないなら、PTは入らず、OTやSTにもっと単位を渡して、他の方のリハをしたほうがよっぽど患者さんのためと思います。



もちろん、運動やストレス解消などとっても大事です。



ただ


病態解釈をして、つまり評価をして、この患者さんには必要と判断していますでしょうか?


運動を提供する中で、少しでも高次脳機能を意識した課題を提供しますでしょうか?




最近、左側頭葉内側面の梗塞にて入院された方がいます


当日、病棟内独歩自立。ウェルニッケ失語が重度でコミュニケーションがなかなかとれない。


特徴

・トイレまでの道はすぐ覚えられる

・人とすれ違う際に、めちゃめちゃ近くを通り、避けようとしない

・多弁でしゃべり続ける。相手の反応のみない

・道具はしっかり使える

・模倣はできる

・一桁の計算はできる

・言葉にだすと、間違えるが見当識はない

・復唱は可能も、短時間ですぐ忘れる。言語性の記憶低下


このような特徴はなぜでしょうか?


こういうことを評価せずに、治療にあたっていませんか?

PTは身体だからと。



PT,OT、STもくそもない


目の前の患者さんが困っていることを、PT,OT、STがそれぞれの分野もありながらも、それにアプローチする。


OTが急性期で基本動作の訓練をします。

ならPTが高次脳機能の訓練や評価をしなければいけません。



この方は下・中側頭回中心に、海馬、扁桃体、紡錘状回の内側面までも損傷していました。




・だから言語性の記憶が悪いのです。復唱で言えた内容も、3分後には忘れるのです。


・右半球は保たれているので、病棟内の道や空間的な記憶は比較的良好なのです。


・頭頂葉の機能は比較的保たれているのです。だから模倣や道具の概念は保たれているのです


・相手の視線や仕草に鈍感になり、相手があまり話を聞きたくない様子でも、上手く読み取れないのです。

だから同室者の患者さんは困っていました。

また、横切る際に相手の近くを当然の如く通るのです。空間認知の問題かもしれませんが、扁桃体機能のパーソナルスペースが破綻していると僕は考えています。


ただ言語の詳細な評価はSTに聞かないとわかりません。



ご家族はどのようにコミュニケーションをとったらいいのか?とすごく不安になっていました。家族の方が指摘すると怒り出すからです。


前頭葉眼窩部の抑制も線維連絡から働きにくいと思いますが、そんなことはどうでも?いいのです。


家族の方がどうコミュニケーションをとったらいいのか?そして言語は良くなるのか?


この問題点に目を背けて体力維持訓練をしてお金もらっているのは良くないと思います。




以上。最後まで読んでいただきありがとうございました。




患者さんの効果とは、運動学習




ってことで今日は「運動学習」について熱く語ります!!




前回は僕の臨床感は「患者さんが実感してなんぼ」みたいな感じで、脳から言うと、入出力の関係(or予測と結果の関係)について書きました



よくリハビリは運動学習と言われますが、まさしくそうです。

何か新しいことが覚える。これ学習です。


患者さんが麻痺した身体で新しく、寝返る、立つ、歩くを覚える。これ運動の学習です。



だからセラピストは運動学習について知らなければいけません!





運動学習のキーワード


脳から言うと


①教師あり学習、②教師なし学習、③強化学習



原則やポイントから言うと


・学習者が、学習するべきことを分かっていること

・目標の達成方法が分かっていること

・運動スキルであること

・注意の焦点化

・課題の難易度

・練習量

・転移性





まずは、脳から説明です



基本的に運動学習を認知期→連合期→自動期としたとき、学習初期で、脳で働く部位は


皮質:頭頂連合野、前頭前野、高次運動野、(海馬)

皮質下:基底核、小脳


*身体の学習は暗黙的(反対は明示的)で、連続的な学習で、意識や注意は重要でないと思われるかもしれませんが、暗黙的であれ脳内では皮質の活動が確認されています(運動と脳)

なので必ず大脳皮質がないと運動学習は進まないと思います。脳卒中の患者さんが障害を負った中で学習するなら、尚更ですね!




学習後期では、皮質下中心に、連合野の活動が収束していきます。


つまり、活動初期は、


・より前方

・より上方

・より外側

・より広範囲


です。これがポイントです。


例えば、より前方というのは

前補足運動野(pre-SMA)と補足運動野(SMA)を例に・・・


学習初期では、順序を覚えたり、注意を馳せたりと、より認知的要素が大きいため高次運動野の中でも

より前方が活動しやすいです。運動前野でも同じです。


pre‐SMAや運動前野の前方は、より前頭前野とより密接な関係にあり、逆にそれらの後方はM1とつながりが強いです。(バランス的に)


なので学習初期には、高次運動野の中でもより前方の領域が活性化していきやすいです。


これは皮質下の大脳基底核でも同じですね!より前方(=尾状核頭)が初期に活動し、学習後期には被殻の活動へとシフトしていく。



つまり、学習初期というのは


・より前方(前頭葉に近い領域)

・より上方(皮質活動)

・より外側(記憶を頼りの出力ではなく、外界の感覚頼りに出力するため)

・より広範囲(特に高次脳領域が活発!)



そして、学習後期には、この反対。つまり


・より後方(工事連合野であればより後方領域という意味)

・より下方(皮質下)

・より内側(記憶化)

・より限局化(片麻痺で言えば、病変側へ)


と活動がシフトしていきます。


これが学習時期による脳活動の大まかな変化です。



あとは、学習様式によって


連続的か適応的か。暗黙的か明示的かにより、あるところがより強く活性化したりします。


それが基底核‐補足運動野or小脳‐運動前野‐頭頂葉下部ですね


そして基底核は強化学習に、小脳は教師あり学習に関与しますね


強化学習も、教師あり学習も基本的に比較して学習が進むタイプです



だから比較を用いると、学習が促進されますよね!なのもリハビリだけでなく


・自分の現状と理想の自分の比較ができるから、やることが分かる

・無数のものからの選択でなく、数あるものからの選択=認知的負荷小さいため容易に学習が進む

・より良い選択が可能だから、報酬も感じやすい

・比較して違いがわかるから、同じような失敗を避けられる


こんなふうに私たちの日常でも同じです





次に、原則やポイントから言うと

・学習者が、学習するべきことを分かっていること

・目標の達成方法が分かっていること

・運動スキルであること

・注意の焦点化

・課題の難易度

・練習量

・転移性



でした。これは僕の独断と偏見のポイントです笑



考え方としては、より学習しやすい視点とは?でいいんです。何も全てできなくても


・学習者が、学習するべきことを分かっていること

→普通に当たり前ですよね!だから患者さんになんのためにやるか説明し、今は何を感じたり、何をできることが目標なのか?が患者さんが自覚していること。ですよね!

☛言語的な理解


・目標の達成方法が分かっていること

→ゴールが見えていること。つまりイメージができることです。ゴールをなんとなくでも知っているのと、全くわからないとでは、学習スピードが違いますよね。だから患者さんに先にハンドリングでこんな感じですよ!提示するのは良いと思います。

☛報酬予測=辺縁系の活性化

☛イメージ=高次脳領域、特に高次運動野の活性化


・運動スキルであること

運動スキル=フォーム、正確性、スピード、適応性


です。学習初期にはフォームと正確性を重視し、後期にはスピード、適応性を促していく

基本的にはこれでいいです。


運動スキルを最適化していくことが大切です。だから課題志向型練習が効果的なのです。そして能動的に動く!これが鉄則です


☛能動的に動くとは、つまり予測の情報と結果の情報が存在するということです。他動的だけでは、出力情報がないため、結果の情報と照合できません



・注意の焦点化

→注意は本当に大切です。だから注意の評価をしっかりする必要があります。

→動作全体で上手くコツがつかめなければ、局所的な注意をはさんで、相に分けて練習後、全体練習に移ります。そして徐々に動作から、周囲や違うものへ注意を向けてもできる課題を提供していく

☛局所への注意の選択が感覚機能への検知を促進させる

☛前頭葉の選択的注意の減少


・課題の難易度

→ちょっとがんばれば、できる所。これを見つけるのがまた難しい笑


・練習量

→コツをつかんだら、患者さん自身が一人で行う時間も提供。そして病棟でも再現できることが理想。

練習量は病棟でしっかりかせげるように。Nsに方法をしっかり伝えるのもよいかも★

☛脳は基本的に使用頻度に依存する。使った回路は強化される


・転移性

→歩行なら、歩行練習が一番歩行の学習を促進するということ。これけっこう大事。



こういう要素が多いと学習が促進されやすいのです。


学習が促進されるとは、つまり患者さんの能力や機能が改善するということです。


だから練習量を多くしたり、課題指向的な訓練が、エビデンスの高いものとして示されているわけです。





ただ上記に加えて、個人的に臨床で重要視したいのが、2つあります!!


①脳血管患者さんは感覚障害を呈することが多いため、body schemaやbody image を作ることが大事です。


今の体の情報を基に出力をする。(前の記憶ではなく)


なので!


患者さんが自分の体を感じる練習も必要です


で、そこで!


自分の体を感じるのが苦手なら、視覚や言語を用いれば良いのです。


つまり患者さんが認識できる感覚を利用するのです。


そこから頭頂連合野を通じて、視覚から体性感覚を感じたり、非麻痺側から体性感覚を感じたり。(異種感覚変換)


学習はいきなり黒幕に手を出しても難しいです。より簡単に促せる所から入るのがポイントです。

だから課題難易度も、今よりもちょっと難しい課題を練習するのです。


体の認識も同じで、一旦視覚を返せば、患者さんはイメージしやすくなるのです。

ただ、感覚とはバランス的なので、

視覚を取り去った中で、より体性感覚的な練習も取り込むことは必要です



そんなふうに自分の体を再認識する時間も取りつつ、能動的な課題を遂行していく。


特に視床出血や被殻出血で麻痺+感覚障害がある際(より後方領域の損傷)は、この自分の体を知ることが大事なんではないでしょうか?




もう1つは


②注意を与えても、力を要求しないことです。


筋力をつける目的なら良いですが、動作を学習する段階では、力をたくさん出すことに意識させすぎない。むしろ抜くことや感じることに意識させる


なぜなら過剰に力が入った手足では、感覚を感じることはできないからです



楽に動くためには、出力を鍛えるより、入力をしっかり捉えながら、最小限の力で動く。


経験的にも、力を入れることに過剰に意識させると効果は低いです。

(ある程度はもちろん要求はしますが)





ふー。。。


お疲れ様です。運動学習についていかがだってしょうか?


・・・長いですね笑



最後に、患者さんはきれいに歩くことが目標ではありません。もう一度、その人らしく、社会へ地域へ生活を営むことが目標です。


せっまーいPT室で、機能ばかりやっていてはダメです。生活に活きなければ意味ないです。


だからもっと病棟を見て、もっと屋外や応用動作にチャレンジをするべきです。


速く歩く練習もしかり、風の強い日もしかり、


数回の経験の有無が患者さんにはものすごく大きいこともあると思います。



もう1度言います。


患者さんはもう1度社会へかえすことがリハビリの目標です。

外で出かけることだけでなく、他者と話し笑うことも、お楽しみレベルでも味をしっかり感じられそれを家族に伝えられることも、社会生活なのです。


そして患者さんは必ず前の動けた体と、今の動きにくい体を受け止め、乗り越えていかなければいけません。


それができないと、家に閉じこもりになりやすく、他者とのコミュニケーションを避けてしまいます。


だから、入院中に免疫をつけなければいけません。自分の体をさらけ出すではありませんが、


入院中から、他者に見られる経験を作るのです。数こなせば免疫がつきます。




吉尾先生から教えていただいたことです。




最後に・・・千里リハビリテーション病院を見学して、想像を超えた病院の考えや質の違いに感銘を受けましたが、なにより患者さんのことを考えた病院?でした。あれはもはやホテルですね笑


33部屋の1病棟に、プラットフォームがわずか2つ。


これでもリハビリができるのです。環境が(患者を)寝かせないのです。



出来る範囲で僕の病院にも還元できるところはしていきたいです。


最後まで読んでいただきありがとうございました!


「ニューロリハビリテーションとして、僕自身なりの結果を出すということ」


今日はかなり長くなると思いますので。

ここずっと、必ず患者さんの実感=即時効果を出すことを意識して臨床を行っていました。


その繰り返しの中で、効果が出るときがなんとなく分かってきました。




「入出力の関係」



この考え方が、自分には1番しっくりきて、自分の臨床を説明してくれます


今日はこの話をしていきますが、


脳の入力と出力。言い換えれば予測と結果。


これが一致していればいるほど、「楽」、「無意識」、「安心」へつながります。

つまりこれらを患者さんに実感させてあげることが、患者さんにとっての報酬であり、私たちの効果になります。



ただ原側として


患者さんは、種々の機能低下により、出力が低下するため、不一致が起きている。(入力も障害はされるが)

この不一致とは、今までの記憶で動いた予測と、実際に動いた結果。


だから


(思ったよりも)力が入らない、重い。

(動けると思って)動かない。

(支えられると思って)膝が不安定だ。


と、必ずおっしゃる。麻痺があるから重いのでしょうか?


でも脳性麻痺の方(=生まれた時から麻痺がある)は重いと必ず言うでしょうか??

そしてステージ5や6の方でも重いと言われる。見た目はたくさん動くのに。

そう、見た目ではありません。


つまり、「入出力の関係性」を整える・一致させることが重要です。



そのため考えれられることは、

1:出力を上げる→以前のイメージへ近づける

2:入力を下げるor変化させる→入力=出力の予測(遠心性コピー)であるため、予測(イメージ)を変える


1は分かりやすいかと思いますが、筋トレや可動域の拡大、促通などで、今までの記憶(予測・内部モデル…)へ近づける。


2は、今の身体の出力に合わせた入力に変えるということ。入力というのは言い換えれば出力の予測です

予測が高いから、思い通りの出力ができず、不一致が生じる。

つまり、今の身体機能に対して、見合ったイメージ(予測)を形成して動くこと(以前のイメージではなく)で、予測と結果の一致を図る




しかし、患者さんは以前のイメージで動くことを基本に、そして学習(代償)していく


例えば元々、下肢筋力100の力が出せる方がいて、骨折により50しか力が出せなくなった場合、荷重を行うとき、50以上の力が要求されれば、必ず代償が出たり、痛みによる逃避反応がでたり。

それが分かれば(学習能力があれば)、次からはなるべく痛みがでないように(予測)50以上の力を極力出さないようにする。でも歩くなど要求されれば、身体が自然と代償を行い行為を遂行していく。

なので上記にも書いたが、この代償は必ずしも悪いわけではない。50以上の力を要求されて代償ができなければ、転倒へとつながるから。


覚醒レベルが低い方、注意障害の方、感覚障害が重い方などは、自分が支えられない量の体重をかけて、容易に麻痺側へ転倒します。そしてそれにもよく気づかない。もし気づいても修正の仕方が分からない。

だから同じように繰り返す。


つまり代償ができれば、それは患者さんは課題の遂行を行うための反応であり、PTにとっては代償というマイナスイメージをつけているにすぎません。(もちろん代償は極力少ない方がいいです。それは楽や安心感に影響するからです。)



話を戻しますと、


50の力しかない患者さんに、高い課題を要求させると、患者さんは以前の感じで動こうとする。でもできない。


すると大抵の患者さんは、力を入れて力んだり、本来とは違うところに意識したり・・・


つまり


「過剰」という反応を示す。それが固定的、意識的。


つまり自分が思った予測と、結果にすごい差があるため、過剰にならざる得ない。


患者さん自身は、今までの予測に近づけようと、出力を高めようとする。つまり上記の「1」です。


ただ差がありすぎるのです。最高のゴールと比較しているからです。それでは必ず報酬は得られません。


学習とは一気に跳躍伝導みたく飛躍できるものではありません。

今の自分のレベルに少し難しい課題をクリアーして徐々に向上していくものです。


いきなり、教授になんてなれませんよね?いきなりプロスポーツ選手になんてなれませんよね?


患者さんがこのレベルをイメージして動くと、報酬は少なくなります。もちろん根性がある方、それでも続けられる心の強い方は、伸びると思います。しかし人によってはいつまでたっても不快な身体と記憶され、今後付き合っていく身体に拒否的になる方もいるかと思います。前の体が自分だ!みたいな。



なので、上記で書いた「2」のような手続きが必ずリハビリには必要です。


そう、「今の身体機能に見合った出力(予測)をさせる。」

そして、「その出力に少し難しい課題にチャレンジさせること。」


こういう関わりを行うと、実感を伴った効果が得られやすいです。


ただ原則として脳は能動的(入力=出力が存在)に動いたことを学習していく


だから患者さんには入力と出力を必ず提供させる。


「うごかされた」、「何やってるか分からない」、「今の自分の能力より高すぎる」ような予測が生み出しにくい手続きは少なくする。(パッシブも最初の運動の方向などを知るなど良いこともありますが)




具体的に言います


1つ目に今の身体機能の見合った出力をさせるですが・・・


今の身体機能レベルに気づきを与えることだけで、効果が出る方もいます


それは、急性期で自然回復していても本人は気づいていない。

つまり最初は50の力しか出ないが、実は70の力が出せる潜在能力がある方なんかは、本来の自分の能力を気づきを与えるだけで、すぐに出力が変わる。


後は、体重をかけすぎている人。「支えている感じ」を得ようと、お尻が引けたり、体幹が屈曲・側屈しても過剰に支持してる人には、ここまでは姿勢が良く支えられるけど、これ以上は太ももがパンパンになったり、体が歪んだりと教え、これ以上は上手く支えられていないラインを教えることもあります。


つまり、今の身体機能をまず知ること。それがないと比較ができないからです



2つ目は、その出力に少し難しい課題にチャレンジさせる


例えば


下肢筋力が50しか出せない方に、課題A(求める力500)を求めても、患者さんにとっては差が大きいだけであり


差分の450を介助で助けたとしても、介助がとると、患者さんが450を自分で補わないといけない。そんなことはできません。


なので課題A‘(求める力100)と難易度を下げる。それでも差が50ありますが、


患者さんには70とか80とかの力を要求させ、それでもできない分は環境設定やハンドリングにて補う。



大事なことは、100の課題に対し、患者さん50+PTのハンドリング50で遂行させないこと。


ましてや、患者さん20+PTのハンドリング80で遂行させないこと。




当たり前やん!と思うかもしれませんが、僕はできませんでした。なぜかというと、正常運動を意識しすぎていたからです。


少しでも逸脱した代償はなくそう。


と考えてしまうと、PTのハンドリングが大きすぎて、過介助になってしまい、患者さんが動くのではなく、自分が動かそうとしてしまっていました。


そういうときは、いくらいい反応だろうが、汎化しなかったり、患者さん自身が再現できなかったり。



課題A‘(求める力100)に対し、患者さんには代償が少ない中で、少しでも今の身体機能よりちょっと難しい練習を行ったもらい、あまりに強い代償や課題遂行が自分の求めるものと逸脱していれば、そこは手助けを与える。


じゃあ課題A‘遂行時に、逸脱している所はなんだ?の判断になるのが、自分の中にある「良い○○」です。


課題A‘に必要な要素(コンポーネント)は?その要素を獲得するために、患者さんに課題を設定して、能動的に感じ・動いてもらい、そのさらに足りない分や、感じ・動いてもらう頼りとなる情報を与えるために、ハンドリングを行います。

(こうやって接していると、前よりもハンドリングやさしくなりました。)




そして、患者さんがの視点が大事と言うまでもないなら、効果というのは患者さんが決めるということです。

だから患者さんが「良かった、楽になった、動き方が分かった、こんな感じで今まで動いていたのか」など実感を伴うことが必要です。






脳を勉強して、学習とは?報酬とは?予測と結果とは?などいろいろ知って、考えてきた中で



僕は、こういう考え方で、リハビリを行っています。




簡潔にまとめると


・現状の機能や能力を患者さん自身が知る=現状把握

・現状から少し高い課題を達成できる=課題設定の重要性、報酬

・患者さんにもっている力を出させた上で、足りない要素をPTが介助や誘導を行う=能動的に動く

・できないからとか正常運動を求めすぎて、他動的要素を強くしすぎ、患者さん自身が運動主体感を感じられないようにしないこと=入出力の関係・予測と結果の関係

・現状と比較して、良くなったという違いが実感できること=誤差学習、報酬




これが僕の臨床感です。



ただ、補足を加えると


僕も無意識の部分を重要視していないかと言うと、そうでもありません。

そして、脳の可塑性を最大限に引き出そう。機能を良くしよう(上記の1)を重要視もしています。


なので、骨関節系の○○手技の勉強もしていますし、


脳の賦活を高めるような電気刺激や上肢麻痺にももっと機能を高めることはできるんじゃないかと思っています。


臨床ではマッサージや骨関節系のテクニックもしますし、tDCSもしますし。



患者さんが良くなったと感じてもらうための手続きなんです。全てが。



患者さんが「主」なのです。




でもある療法を強く意識してしまうと、患者さんが例えば「麻痺を治療してほしい」と言ってきても、それは僕の考えの中にはそれはないです。となりかねません。その治療は私の所属する治療にはないです・・・。と。


旅行会社では言えば、私たちが「沖縄旅行に行きたいです」。と訪ねたら、うちは「北海道旅行しかできません」と言われているようなものです。

私たちには旅行会社を変える選択ができますが、患者さんには病院も、療法士も、治療も選択できるチャンスは少ないです。


もちろん、根拠をもってここまでは良くなる可能性があるが、これ以上は難しいなど、しっかり説明して、もっとこういう視点でのリハビリもありますよ。と選択枝を与え、それに対して患者さんやご家族の方が選択するというのが普通なのではないでしょうか?

それが患者さんのneedsであり、求められたもの対し、結果を示していくのが私たちの仕事だと思います。


だから脳だけでなく、いろんな分野。それこそ解剖、運動、生理学といった基本的なことを知り、確かな知識、報告から根拠をもってリハビリをする必要があります。


回復期病院にいるため、最大限の機能回復(エビデンス、確かな知識)と生活により沿ったリハビリ(機能回復ではない心に寄り添うリハビリ)の両方の展開をしていきたいと思います。


そして、患者さんが実感が伴った関わりができるPTになりたいと思います!


長々と僕自身の考えを読んでいただきありがとうございました。

日本平ホテルからの久能山東照宮に行ってきました。家康公のお墓も見てきました

絶景と程よい運動で、心身ともに元気にしてくれる所です♫

ぜひ1度!



今日は、最近の臨床で思うことをつらつらと書きます


ニューロリハとかいってそうでないかもしれませんw




最近は、患者さんの「気づき」がほんま大事なんだと、ほんまに感じています


当たり前と思われるかもしれませんが、リハを行っている時に、どれだけ気づきを患者さんに提供できるか?

問題点や自身のお体のこと、目標や、動き方、治療後の変化・・・これらのことに対し、患者さん自身が気づく




ある患者さんの話ですが


最初の頃は、介入後に変化があり良くなっても「そう?」という感じで、自身の感覚の悪さにもあまり気づかず楽観的な面があったりと自身の体のことをよく分かっていない方でした。


しかしそれでも、退院の時期が迫るにつれ、在宅での生活イメージが少しづつできるようになるにつれ、


その方の中で、やらなきゃ。退院後はこうなりたい。などの発言が増え


ちょっと待って、こうすると肩痛めるから、ここに枕入れて・・・とか

「あ!」今の失敗は足が内側に行き過ぎたから・・・とか


自身の体に関しての認識が高くなってきた頃に



動作の定着であったり、自分の身体に見合った動き方、気をつけ方ができるようになり、それが自立へとつながった患者さんがいました



この方は、いくら即時効果を出しても、次の日には戻ってしまう。本人もそれがどうしてか分からない。


もちろん日を追うごとに、少しづつ動作が上手になってはいましたが、思った以上に動作の定着が苦手な方という印象で難渋してました


この患者さんから教えて頂いたことは



患者さん自身が、自分自身の状態を知る。気づく。




これがとても大切だということです


怪我や障害を負った体で、動き始めるとき


ぼくらにあるのは、障害を負っていない体のイメージです。つまり記憶



記憶を頼りに動くけど、痛みや麻痺で動けない。ことに気づく



これに気づければ、それに見合った代償運動の戦略をとる



スポーツリハなんかは、怪我で代償運動が生まれても、筋力をつけたり、姿勢を矯正したり、動き方を修正したりと、大変なリハビリをすれば競技復帰できる(ほぼ前と同じ)選手がいると思います。



しかし脳血管や高齢者の患者さんでは、代償運動をとることさえも、なかなか苦手な方もいると思います。

ここで言う代償運動とは、その体に見合った戦略をとれること。

つまり、ある程度自分の体が分かるということ。



例えば

注意障害や覚醒不良で、支えられない足でも、それ以上に体重をかけすぎてしまう方(逆に全くかけない方)

寝返りの時に手を忘れてしまう方

動作性急で、移譲時に麻痺側下肢に体重を支えられるような状態でないのに立って、麻痺側にバランス崩す方


などなど。


前の記憶のイメージで行為を行っているのか


今ある身体機能分だけの、力を発揮することが苦手な方が多いです。




荷重に関して言うと


病前はこうやったら上手く支えられたのに、なかなか力が出ない。という方は、前のイメージと今の身体を比べています。

こうすると、前のイメージはもっと力が入ったなど、ものすごく過剰になり、それに見合って身体も固定的になります



そうではなく


まずは今ある身体状態を知る


例えば


今の足で、どんな風に支えているのか?

今の足で、どれくらいの量なら、楽に支えられているのか?

たくさん体重をのせると、どういう感じがするのか?



四頭筋、ハムストの同時収縮ではないか?非麻痺側の過剰すぎる固定はないか?hipが引けても支えようとしていないか?など観察をしながら


そこで


ここにすごく力入っていますね、、、

お尻が引けるのわかりますか?、、、

どのあたりに体重のっていますか?、、、


など患者さんに気づきのきっかけを与えます



(もちろんここで大切なことが、「いい立ち方、いい体重の支え方は?」になります)





患者さんは、力を入れてなんとか倒れないように、体重をかけていきます。


それがどんな姿勢であれ、どれだけ無駄な力が入っているにしろ、気づきません。


それは患者さんの中に、「いい立ち方」そのものが良くわからないからです

今まで無意識にやってきたことに、いちいち目を向ける必要がなかったからです



だから


今の支え方は、こういう感じで


こう支えると、少し楽で、


ここまではしっかり体重がかけられる



これを患者さん自身が気づくことが大切です



そこから、新たな学習がはじまるのです



これは、無意識でも、意識でもいいと思っています。


こういうことに気づく。



なんとなく分かる世界かもしれません


むしろ、無意識にできるに加え、言葉では言いづらいけど「なんとなくこうすると良い」的な認知的にも理解できるのがベストかなと思っています




そして、これができる方は良くなっていきます!!と勝手に思っています



だからこういう気づきを、セラピストが与える






脳で言えば、入出力の関係です



出力した分だけ、適当な入力を感じられる


支える分以下の、出力を出せば、それは膝折れという入力になる


支える力を有しながらも、それ以下の出力しか出せない、これは荷重不足になります




この入出力関係が適当なら、過剰な反応でなく、より楽に効率よく動作ができます



支えられない分の、出力を要求しても、必ず代償がでます。そうしないと支えられないからです。



脊柱‐骨盤‐股関節を固定し自由度を減らし、カウンターウェイトの戦略を使い、上肢がバランスに参加し、

中枢やインナーで支えるのではなく、大腿や下腿、アウターの筋で支える戦略をとったり、


加え恐怖や交感神経が過活動になると、その分身体の緊張は高まります





前の身体の状態で比べるのではなく、今ある身体機能から、1歩改善する方法に目を向ける


そのために「今」の状態を知ることから始める




もちろん、身体というのは、神秘的で、無意識の面も多々あります


マッサージに行けば、身体が楽になり、歩きやすくなります。


何かに気をつけた訳でもなく、何かに意識した訳でもなく、身体は楽になり、気分も良くなります。



だから僕もよく、腹臥位や側臥位で、患者さんの特に中枢部の脊柱や骨盤の可動性を引き出す治療も行います。


それだけでも、効果があって、楽になったとか、一番効いたとか、言ってくださる患者さんはいます。





何が言いたいかと言うと、患者さんが楽になった、上手くできるようになった、今まではこんな動き方だったのね、こうすると力が入る、こう動くと楽なのね・・・


など気づくことが大切です


それがこちら側のどんな関わりであれ


それが効果です



患者さんが良くなったという実感が得られないのは


僕らがマッサージに行って、お金を払ったのに、楽にならない。良くなると思って行ったのに・・・


報酬なんかないですよね。


そんな所は2度と行きませんよね



でも患者さんはそんなことは言えませんよね。担当との関係が悪くなるようなことは、自分の身体の改善に影響するとわかっているからです


だから、何やられているかわからないけど、先生に従う。



それでも

何されているかわからないかもしれないけど、確実に良くなっているなら、いいじゃん。



と思われる方もいるかと思います。僕はこれには半分同意しますが、半分は反対です。


よくなることに越したことはないので、いいと思いますが、


良くなるということは、どういうことなのか?を考えると




リハビリとは僕らが治すものだけでしょうか?

違うと思います。


患者さんが治していくものですよね?(治すは語弊があるかと思いますが)



なので、例えば、2人患者さんがいたとして


1人は、受動的側面が強いリハビリで、機能的にはもう1人の方より、良くなったけど、その良くなっている実感があまりない方


と、もう1人は機能的には、最初の方より良くならなかったけど、能動的に自分の体を知って、良くなっていることを実感された方



これではPT目線で機能的に良い方がよいリハビリだったとは言えないはずです


つまり患者さん自身がどう感じるかで、結果の善し悪しは変わるということです


だから半分反対なのです



患者さん自身が良くなったと感じることが大切で、


きれいなアライメントに矯正されて、実際はきつい姿勢を強いられる感覚をもつより、

アライメントが不良でも、前より楽に歩ける方が良いのです。


もちろんそれが、10m歩行や体力という指標に相関し、生活に生きることにつながるのがもちろんですが



まずは患者さんが良くなった、楽になった、こうすると楽とか、こうすると力が入るとか、


実感できるような結果を出すことが大切です



この実感こそが、患者さんとの信頼関係、やる気、学習、能動的に動くようになる


全てに影響を与えます


そしたら絶対に良くなります




以上!!


今日は、いや今日も長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。