私は昭和46年

とある地方に生まれた。


人口五万人くらいの、"ど田舎"

食品と雑貨と薬局が入った小さなスーパーがひとつあるくらいの、

そこに行けば必ず誰かに会う、

というような場所が「銀座通り」にある。

まぁ平和と言えば平和な。

それくらいの田舎の町で私は生まれた。


母親20歳、父親24歳の時、

長女として私は生まれた。

若い両親だと、思う。

時代も時代だが20歳なんて、

年齢だけ聞くと、若い。

でも当時の私が生まれた時の

写真を見るが、

若過ぎるようには見えない。

両親は両親なんだろう。


幼い頃私は、

本当に素直で単純な、

普通の女の子だったと自分でも思う。


夕日が差し込む台所で、

母親に遊んで欲しくて、

食事の支度をする母親の足元に

まとわりつき、

支度が終わって遊んでくれるのを

ずっと待っていた。

あれは何歳の頃だったろう。


母方の祖父母の家に泊まり、

嬉しくてはしゃいでいたけれど、

でも夜になって寂しくなって泣き出した私を祖父は浴衣の背中におぶってくれて、

真っ暗な川をじゃぶじゃぶと濡れるのも構わず、両親の待つ家まで送ってくれた。

祖父の背中から見えたあの真っ暗な川と夜空に見えた月を今も覚えている。

祖父はもういないけれど。

あれも何歳だったのだろう?


祖父は私が4歳の時、

事故で死んだ。

四人で乗っていた乗用車が、

崖から転落し祖父だけが、

割れた窓から投げ出されて、

亡くなった。


安否を家で待っていた祖母と母を、

私はよくわからず、見ていた。

何が起こったのかはその時は、

わからなかった。

ただ、いつもとは違う祖母と母の様子に、

不安になったのを今でも覚えている。


病院からの電話連絡を何時間も待っていた時、その不安な空気を引き裂くように鳴った電話の音に飛びつくように祖母は受話器をとった。


「違います!何かの間違えです!」

祖母の半狂乱の悲鳴のような声が私の全身に突き刺さり、私は硬直した。

母が、「何、何なの?」と、

祖母の肩を揺する。

祖母は受話器を置き、

「新聞の記者だ。この度はご愁傷様でしたなんて言うんだよ。重雄さんの写真を映像用に貸してくれだって。死んでなんかいないよ、お父さんは」

「何かの間違いだよ。勘違いも甚だしい」と母も怒っていた。


それからすぐに病院から祖父が亡くなったと電話があった。


祖母は、その後ずっと、

同じことを繰り返し話した。

「昨日、桜の木を切ったんだよねぇ。お父さんが枝が邪魔になってきたからって。でも桜の木を切ると良く無いことが起こるらしいからやめたらって止めたんだけどねぇ。桜の木を切ったからこんなことになってしまったのかねぇ。お父さんにハンカチを持たせるのを忘れたんだよ。出たすぐ後に気がついたんだけどまぁいいかと思って追いかけなかったんだよ」


出かける時、いってらっしゃいと見送る。

時間になると、

出て行った玄関からまた同じ顔が戻るものと誰もが、思っている。

それが当たり前で。

それが普通のことだ。

何も起こらなけば。

帰って来ることが当たり前なのだから。

それが普通で、当たり前で。

でも普通じゃないことは、

ある日突然起こる。


私は初孫だったから祖父にとても可愛がられたそうだ。

何となく覚えているような気がする。

写真で見たからそんなふうに思うのか、

今となってはわからないのだけれど。