朝鮮新報WEB版に、掲載されました!!
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/01/0901j1019-00001.htm
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女性同盟結成60周年西東京地域誌「꽃수레」続編を発刊して
自らの活動の誇り刻んで 「生き字引」のオモニたちと出会えてよかった

「꽃수레(花車)」続編発刊記念パーティが10日、女性同盟中央の姜秋蓮委員長、総連西東京本部の李在哲委員長や同女性同盟本部の李順姫委員長ら86人が参加し、和やかな雰囲気の中で開かれた。
「できない」といってしまえば簡単ではある。だが、10年に及ぶ歳月の重みを誰も消し去ることはできない。
「先輩たちの後姿や、後押しがあってこそ、がんばってこれた地域女性たちの10年ではないか」
私たち「꽃수레」続編編さん委員たちは、内容を50周年以降の10年間としながらも、ひとつは「꽃수레」を支部の役員たちが読み込むこと、二つ目には10年前のように支部毎のアルバムを作ること、そして三つ目として、10年前に1世女性たちへの聞き取りが不十分だったり埋もれていた事実や写真などが出てきたらそれも反映すること、などと編集方針を決め、作業に取りかかった。
続編の編集は、10年前の「꽃수레」を知らない同胞たちがほとんどという状況の中で始まった。
50周年のときに作った支部のアルバムを毎日見ながら、「꽃수레」を通して地域の歩みを読み込んでいったある支部の委員長。
新しい役員たちに、「この『꽃수레』を、どうしたらひとりでも多くの同胞たちに読んでもらえて、そのためにはどんな支部のページを作ったらよいと思うか」と呼びかけ、真心のこもったアルバム作りに努めたある支部の委員長。
西東京本部管下には六つの支部があるが、それぞれに6ページの「支部のページ」が割り当てられた。このカット、どうしてもこのショットがいいと、最後の最後まで写真選びに腐心したのは、地域のトンポ女性たちを大切にし、先代の活躍に想いを馳せ、これからの活動を少しでも広げていきたいと願う活動家たちの真しな想いの反映であった。

(「チュッペ!(乾杯)!」の声も高らかにみんなで出版を喜んだ)
出版パーティーの会場となった西東京朝鮮会館の講堂は3階にあり、施設もバリアフリーではないため、ハルモニたちには少しきつかったかもしれない。けれど、久し振りに集まった彼女たちの表情は、ひいき目かもしれないがとても明るく、華やいで見えた。
手作りのチヂミやチャプチェ、キムチや豚肉の傍らには、思いがぎっしりと詰まった薬飯(ヤクパプ)の差し入れや寿司などが、テーブルいっぱいに並べられた。
会食をしながら歓談する参加者たちから、声がかかった。
「10年前のときも大変だったけど、今度もお疲れだったわね」「トンム、いたのね。子どもが大きくなったでしょう」「今度(続編)は支部のページ、前の方に載っているのね。カラー写真がいっぱいで見やすくなったわ…」
私もこう返した。「オモニ、10年前も今日も変わらずお元気ですね。今日お会いできて、とてもうれしいです」「オモニたちのお話を伺いながら、少しでもそのときの状況を再現できるようにと思いましたがいたりませんでした…」
参加者たちは、自らの活動の日々を誇りに思い、今日この席に座っている。
一言では語りつくせないさまざまなことが重なりあって、今日を生きている私たちである。
会場には「60年の歩み」と題して、この間に集めた写真を説明付で展示した。
1947年5月2日の「三多摩(当時)婦女同盟結成大会」、46年12月の「生活権擁護のためのデモ」「成人学校でウリマルを勉強するオモニたち」、68年「『外国人学校法案』に反対するために立ち上がったオモニたち」などの写真には、若かりし頃の自身や友人、故人の姿もあって思いもひとしおであったろう。
帰り際、一段ずつ階段を下りながらある顧問が声をかけてくれた。
「オモニ大会のとき(61年)にはね、黒のチマ・チョゴリ、これが流行りだったのよ。西東京の代表たちも夜行列車に乗って行ったんだから、新潟まで。トンムたちがまだ赤ちゃんの頃。でも、続くのよね、こうやって。…オモニ大会って、いまもあるでしょ?」
オモニたちを見送りながら、熱いものがこみ上げてくる。
至らないことばかりだけれど、やってよかった。
「生き字引」ともいえる多くのオモニたちと出会えて、よかったと心から思った。
(問い合わせ=女性同盟西東京本部 TEL 042・542・2566、メール=nisinyo@yahoo.co.jp)
(辺貞姫「꽃수레」続編編さん委員長)
(辺貞姫「꽃수레」続編編さん委員長)
[朝鮮新報 2009.10.19]