「1人で死んでください」という意見に対する、
様々な意見が話題になっています。
みんなそれぞれ、いろんな意見があるようです。
僕は、この話題について、こう考えます。
「死を願うな」
です。
犯人に対して、「1人で死んでくれ」と願うのではなく、
本当なら、「人を殺さないでくれ」と願うべきだと思います。
ついでに、「死なないでくれ」と願うべきではないかなと思います。
都会では、人身事故で電車がよく止まります。
そのたびに、周囲の人達がいらつきながら、
「電車で死ぬなよ。迷惑にならないところで死ね。」と言っています。
そうじゃなくて、「死なないでくれ」と願ってもいいのではないかなと思います。
僕は子どもの頃、ちょっと変わっていたと思います。
だから、学校の先生とうまくいきませんでした。
ある日、先生が家にやってきました。
先生は母さんと話をしています。
母さんは泣いています。
先生の声は大きくて強いから、僕にも聞こえました。
「あの子は、おかしいから迷惑だ!」と怒っていました。
「そうか。僕のせいで、母さんが怒られて、母さんが泣くのか・・・」と思いました。
でも、僕には、どうしようもないです。
「なんで生まれてきてしまったんだろう」と、泣くしかなかったです。
でも、そんな僕が、いまでは、会社を作って、ロケット飛ばしたりしています。
そうなることを、当時の僕は、想像していませんでした。
もちろん、当時の担任の先生も、僕がこうなるとは、想像していません。
もちろん、母さんも、僕がこうなるとは、想像していません。
だれにも、未来はわかりません。
でも、わかってることが1つだけあります。
すべての人に、すばらしい可能性があります。
その人自身が奇跡を起こす可能性もあるし、
その人が関わった誰かが奇跡を起こす可能性もあります。
その奇跡は、その人がいないと起きなかった可能性があります。
人には、誰も予想もできないような奇跡の可能性が詰まっています。
だから、人の命は大切です。
だから、人を殺してはいけません。
でも、日本では、テレビのバラエティ番組でも、平然と「死ね」という言葉が使われます。
芸能人が、笑いながら「死ね」と言います。「いっぺん死んでこい」といいます。
だから、子ども達も、軽々と「死ね」を使います。
「氏ね」という表現をすることもあります。
僕は、これは本当に恐ろしくて、悲しい事だと思っています。
「1人で死んでくれ」というのは、犯人の死を願うことです。
それは、他人の死を願った犯人の思考と、そんなに変わらない気がします。
大事なことは、「死を願うな」だと思います。
他人の死も、自分の死も、願わない方がいいです。