8月のある日、日本軽種馬協会の益満宏行常務からわしに電話が入った。

益満さんのJRA時代は厩舎担当で、日本馬主協会連合会・労務預託副委員長の西山茂行と毎年厩務員春闘では一緒になり、いろいろと話し合った。

厩務員の雇用主は調教師であり、春闘、いわゆる労働者との団体交渉は調教師会が対応する。

しかし、厩務員の給料は全額預託料に付け回され、支払うのは馬主である。

さらには、厩務員の資格を与えるのはJRA(各トレセン)であり、複雑な三重構造になっている。

馬主とJRAは共闘する部分はあるが、責任を押し付け合う時もあり、毎年春闘では長い時間の話し合いをする。

そんなことから益満さんとはかなり親しい関係だ。

しかし、それは約10年前のこと。

話のネタの想像が付かなかった。

「率直に申し上げます。ネロを軽種馬協会の種牡馬に譲っていただけませんか?」

なるほど、そこに目をつけたか…

ネロの1歳、当歳の馬体の評判はかなり高い。
サマーセールでも良い値がついていた。

ただ、来年はセイウンコウセイが種牡馬となり、当然西山牧場のネロに配合する繁殖牝馬が少なくなる。

(渡りに舟)、と思った。

続いて益満さんより

「実は繋養先ですが、今年九州種馬場にいたケイムホームが亡くなったため、その後がまと考えています。」

九州、鹿児島か。
芋焼酎の蔵元で作りたてのロックのジョッキもいいなあ…
ついでに言うと、鹿児島には素晴らしいゴルフ場も多い。

そしてまだ走りを見ていないネロの子だが、ひとつはっきりしているのは、このまま北海道にいるより、九州へ行ったほうが種付けは増える。たぶん3倍増する。

日高なら来年は20頭前後。
九州なら60~70。

種付けをたくさんさせて子孫を少しでも多く、それはわしのネロに対する想いだ。

益満さんに即答で快諾させていただいた。

日本軽種馬協会の内部調整もあり、発表は10/8になったが、月中にもネロは九州へ。

これで鹿児島、大崎へ行く楽しみができた。

ニシノフラワーの血統が九州で再び咲くか。

GⅢ京阪杯2勝した程度のネロを種牡馬にしたのは、祖母のデュプリシトのクロスを作りたかったから。

二年間でかなり作った。

西山牧場としては最高の展開となった。

Dr.コパさま、日頃教えていただいている風水のおかげです。

皆さまに感謝。