【第2章 第1弾】Jリーグ開幕 | サッカーを追い続けて♪

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1993年5月15日土曜日
満を持して、日本初のプロサッカーリーグ 通称”Jリーグ”が開幕。
ここでは先に、Jリーグ開幕時に加盟認可が下りた記念すべき10クラブ 
通称”オリジナル10”クラブの紹介を、2段に分けてお届けします。
かなり長くなると思います、覚悟して見て下さいね(笑)

便宜上、所在地が北にある順番でお届け。

①鹿島アントラーズ
クラブの前身は、住友金属三菱重工業サッカー部(1947年創部)
(創設時は大阪市、1975年に旧茨城県鹿嶋町に移転)
ホームタウンは、茨城県鹿嶋市等周辺区域
ホームスタジアムは、県立鹿島サッカースタジアム
チーム名の「アントラー(antler)」は英語で鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。
2015年現在、国内の3大タイトル(J1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯)において、Jリーグクラブでは史上最多の16冠かつそれぞれのタイトルにおいて最多優勝回数を誇る。A3チャンピオンズカップやスルガ銀行チャンピオンシップ、スーパーカップを含めると24冠である。また、Jリーグ史上初となる3連覇(2007年 - 2009年)を達成し、2000年度にはJリーグ発足後初の国内三冠を達成したクラブでもある。
上記の様な類稀な成績を収めているクラブであり、特筆すべき選手・監督も多数いますが、取りあえずスペースの都合上、今回は割愛。
ちなみに、住友金属時代は、強豪とは無縁のクラブでした。
旧JSL1部も2シーズンしか在籍経験なし。

②ジェフユナイテッド市原(ジェフとは、JR-EAST-古河電工の略)
クラブの前身は、古川電気工業
ホームタウンは、千葉県市原市
ホームグラウンドは、市原緑地運動公園臨海競技場
クラブ名の「ジェフユナイテッド」(JEF UNITED、ユナイテッド=結束した)はクラブとホームタウンの結びつき、チームの協調・連帯感を表現しており、1991年に公募で決定された。また、JEFは、クラブの母体となったJR-East(=JR東日本) Furukawa(=古河)の略称にも由来する。
1946年創部の古河電気工業サッカー部が前身。1965年の日本サッカーリーグ(JSL)に発足時から参加。日本リーグ時代は三菱重工(現・浦和レッズ)や日立(現・柏レイソル)とともに丸の内御三家と言われ、JSL優勝2回、天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝4回、JSLカップ優勝3回の成績を収める。また、アジアクラブ選手権1986-87で日本のクラブとしては初めてとなるアジアタイトルを獲得した古豪である。
2009年にJ2降格
これは、前身・古河時代を含めて下部リーグへの降格は初めてである。
2009年のJ2降格以降、J1への再昇格はない。

③浦和レッドダイヤモンズ
クラブの前身は、三菱重工業サッカー部(1950年創部)
ホームタウンは、旧埼玉県浦和市
ホームスタジアムは、駒場スタジアム
チーム名は「ダイヤモンド」の最高の輝き、固い結束力に由来し、クラブカラーである「レッド」と組合わせたものである。なお、三菱グループのマークのスリーダイヤモンド・三菱自動車のイメージカラーである赤もモチーフとなっている。
が、J開幕から暫くは”Jのお荷物”と揶揄される事になる。
国内3大タイトル(J1リーグ、天皇杯、ナビスコカップ)の全てを獲得しているクラブの一つ。
コアなサポーターが多く、しばしば問題行動が取立たされるが、J屈指の観客動員力を誇る。
1999年、オリジナル10で初のJ2降格を味わうも、翌年J1復帰。

④ヴェルディ川崎
クラブの前身は、1969年に創部された読売サッカークラブ
1972年に日本サッカーリーグ(JSL)2部、1978年にJSL1部に昇格。Jリーグが謳う下部組織の充実と地域に根ざした活動をいち早く実践し、JSL優勝5回、天皇杯優勝5回、JSLカップ優勝3回の戦績を残した名門中の名門の一つ。
クラブ名のヴェルディは、ポルトガル語の「Verde」(緑の意味)からの造語である
1993年Jリーグ開幕節(5月15日)で横浜マリノスと対戦、オランダ人FWのヘニー・マイヤーがJリーグの第1号ゴールを決めた。
2005年にJ2降格決定→天皇杯優勝→2006AFCチャンピオンズリーグ出場という変わった経歴を持つ。
2006-2007をJ2で過ごし、2008にJ1復帰するも、即J2降格し、今に至ります。
このクラブに関しては、非常に気の毒な部分が多く、余り多くを語りませんが、7割程度は、経営面での問題があると思います。
ヴェルディ全盛期は、お金に物を言わせ有名選手を連れてきて常勝軍団を作っていたものの、中期以降は経営面の問題で、全盛期の様に資金が潤沢でなくなり、選手層を縮小しなくてはならなくなった。
ただ、唯一救われている部分として、現在でも育成機関は健在で、有能な若手を多数輩出しています。
が、それらの選手でさえも、他クラブへ譲渡しなければいけない台所事情…

⑤横浜マリノス
クラブの前身は、1972年創部の日産自動車サッカー部
1979年に日本サッカーリーグ(JSL)1部に昇格。
ホームタウンは神奈川県横浜市。
ホームスタジアムは、横浜国際総合競技場
チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗りを意味する。

チームカラーは「青・白・赤」 のトリコロール(三色)。
この三色は元々日産自動車のコーポレートカラーであった。
各色の意味合いは、
青「冷静さと港町・横浜の海」、
赤「スポーツに触れ合う場をつくり、皆が誇れるクラブを目指す」、
白「皆に支えられ、息の長い活動を続ける、自立したクラブを目指す」
である
1988年-1989年のJSL1部リーグ、JSL杯、天皇杯の当時の日本サッカー主要大会三冠を達成。と、読売クラブに並んで称される古豪。
ただ…
なお、天皇杯は1994年がC大阪、1995年が福岡ブルックス(現アビスパ福岡)、1996年が大塚製薬サッカー部(現徳島ヴォルティス)、1997年が東京ガスサッカー部(現FC東京)、1998年がブランメル仙台(現ベガルタ仙台)といずれもジャパンフットボールリーグ所属チームに敗北したりと、トーナメント戦に弱い一面も持つ。
横浜マリノスを語るには外せないエピソードとして
Jリーグ初の永久欠番(サポーターナンバーを除く)があります。
#3 松田直樹
2011年8月4日に死去。同年8月12日、クラブは「横浜F・マリノス、日本代表、そして日本サッカー界への多大なる貢献への敬意と謝意、さらには松田直樹という偉大な選手への心からの追悼の証」として、永久欠番に指定

というわけで、
今段はここまでですが、
ネットで検索すれば簡単なのに、
なかなかそこまでしないJリーグの知識シリーズ。
まだまだ まーだまだ 続きますよー。
ネットで検索してきて、それをコピペするだけの簡単な作業じゃないんですこれw
どこを引用するか、何処までを引用すべきか、何処からが蛇足なのか…
判断がきついですねこれw

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