戦時下のレイプで生まれたボスニア青年、「答え」求め実親捜しへ
戦時下のレイプで生まれたボスニア青年、「答え」求め実親捜しへ
2015年05月11日 15:25 発信地:ゴラジュデ/ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナの街ゴラジュデで、映画『見えない子供の罠(An Invisible Child's Trap)』のプレミア上映実施について会見
するアレン・ムヒッチさん(2015年3月20日撮影)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【メディア・報道関係・法人の方】写真購入のお問合せはこちら
【5月11日 AFP】アレン・ムヒッチ(Alen Muhic)さんは、1992年から95年にかけて起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下でセルビア人兵士にレイプされたムスリム女性の母親によって、生まれた直後に捨てられた。紛争終結から20年、彼は実の両親を捜す旅に出た。
ムヒッチさんの痛みとドラマに満ちた親捜しの旅は、力強いドキュメンタリー映画として記録された。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のレイプによって生まれた子供たちは「見えない子供」と呼ばれている。ムヒッチさんのストーリーは、そうした子供たちの境遇を初めて公に明かすものとなる。
「僕はただ真実を知る必要があった。両親は誰なのか、なぜ彼女は僕を捨てたのか、なぜ彼はそんなことをしたのか。彼は戦争犯罪を犯した」。映画『見えない子供の罠(An Invisible Child's Trap)』のプレミ
ア上映の後、ムヒッチさんはAFPに語った。
ムヒッチさんの生物学上の母親は彼を産んだ後、米国へと逃れた。父親は裁判にかけられ強姦罪で有罪となったが、その翌年、無罪放免となった。
現在22歳のムヒッチさんは、ボスニア東部の町ゴラジュデ(Gorazde)で看護師として働いている。1993年に自分が生まれた病院だ。ムヒッチさんはその後、養子となった。
■ボスニア紛争下の「見えない子供たち」推定2万人
ドキュメンタリーを撮影した監督は、ボスニア人のセムスディン・ゲギッチ(Semsudin
Gegic)氏だ。
「国際人権団体たちは、戦争下のレイプで生まれた子供たちを『見えない子供』と呼んでいる。
だが、私はアレンが『見える』ようになる映画を作ろうと思った。
(ムヒッチさんは)世界中で起きている紛争下の性的暴行で生まれた大勢の子供の中の一人だ」
ムヒッチさんの実母はボスニア東部の村ミルエビナ(Miljevina)の出身だ。
村はセルビア人勢力に制圧され、彼女はレイプされた。
彼女は1993年2月に男の子を生んだが、出産後にその子の顔を見ることさえ拒んだ。
その頃までに彼女たちムスリムは、セルビア人による「民族浄化」によって村を追われていた。
当時30代だった彼女はその後、米国へ亡命し、結婚して2人の息子をもうけたと、ゲギッチ氏はいう。
彼女は戦争犯罪法廷の証言者として保護されているため、映画ではその名前は明かされない。
ムスリム、クロアチア人、セルビア人による他民族国家ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦は約10万人の命を奪い、旧ユーゴスラビア連邦の分裂過程の中で最も悲惨な紛争となった。
戦時下でレイプされた女性のほとんどはムスリムで、その数は2万人以上と推定される。
しかし、現地NGO「戦争の被害者女性協会(Association of WomenVictims of War)」が行った調査によると、戦時下のレイプによって生まれ、捨てられた子供として記録されているのはわずか61人。
実際は、はるかに多いと考えられている。
■養子縁組と母への許し
ムヒッチさんは生後7か月のときに、生まれた病院で清掃作業員として働いていたムハラム・ムヒッチ(Muharem Muhic)さんに養子として引き取られた。
現在60代のムハラムさんと妻のアドビヤさんには二人の娘もいる。
ムヒッチさんは「僕は今、幸せです。素晴らしい家族に引き取られたから。両親は僕を実子のように育て愛情を注いでくれた」という。
彼が自分の痛ましい過去について初めて知ったのは、学校で他の子供たちにからかわれ、ムハラムさん夫妻が実の両親ではないと言われたときだった。
「それがあって、両親は真実を話してくれた。そのときは怒ったが、今は分かる。二人は僕を守りたかったのだと」。
三つの主な民族が憎悪によっていまだ分断されている社会では、このような養子を認めない人が多かった。
「両親は周りから、僕の体にはセルビア人の血が流れているから、大きくなったら親たちを殺すだろうといわれた。
彼らが間違っていたと証明するのが、この映画を作った別の理由だ」とムヒッチさんは述べた。
映画の製作過程を通じて、ムヒッチさんと実の両親との対面の困難さが明らかになった。
「父親は会うのを避けた。だが、母親は完成した映画を見せられた後で、アレンに会いたいと言ってきている」とゲギッチ氏はいう。
母子の対面はまだ実現していないが、そのときはこのドキュメンタリーに付け加えられるだろう。
以前は自分を捨てた母に対する怒りに満ちていたムヒッチさんだが、年を経るにつれて違う感情を抱くようになってきた。
「レイプされたことも、私を捨てたことも、彼女の責任ではない。彼女は痛みに耐えられなかったのだろう。彼女にとって、大きな傷でありショックだったのだ」。
ムヒッチさんは「彼女は許す」と語るが、実父に対してはそうはいかない。
実父は2007年に旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷において強姦罪で禁錮5年6月の判決を下された。
しかし翌年の控訴審では、目撃者の証言に「矛盾」があるとして無罪になった。
この裁判中に提出されたDNAテストの結果から、彼がムヒッチさんの生物学上の父親であることが証明された。
「誰かが彼にそうしろと強制したわけではないのだから、僕は彼を非難するし、許されるべきではない」とムヒッチさんは述べた。
(c)AFP/Rusmir SMAJILHODZIC
http://www.afpbb.com/articles/-/3047949?pid=0
ひどい話だ。ムヒッチさんにとっては、映画に出ることは、本当に自分探しの旅になったようだ。少なくとも母親を許す気持ちになったことはよかった。母親はレイプの被害者なんだから、生まれた子の顔を見るのも嫌で直ぐ捨てたというのは、仕方が無い。レイプした方は、みんながしているから、チャンスがあったから、憎い敵だからという軽い理由でやったんだろう。自分の母親や妹や娘がやられたら、どういう気持ちになる?
もともとろくでもない人間が、戦争や騒乱になると押えが効かなくなってケダモノになるんだろう。
2015年05月11日 15:25 発信地:ゴラジュデ/ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナの街ゴラジュデで、映画『見えない子供の罠(An Invisible Child's Trap)』のプレミア上映実施について会見
するアレン・ムヒッチさん(2015年3月20日撮影)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【メディア・報道関係・法人の方】写真購入のお問合せはこちら
【5月11日 AFP】アレン・ムヒッチ(Alen Muhic)さんは、1992年から95年にかけて起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下でセルビア人兵士にレイプされたムスリム女性の母親によって、生まれた直後に捨てられた。紛争終結から20年、彼は実の両親を捜す旅に出た。
ムヒッチさんの痛みとドラマに満ちた親捜しの旅は、力強いドキュメンタリー映画として記録された。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のレイプによって生まれた子供たちは「見えない子供」と呼ばれている。ムヒッチさんのストーリーは、そうした子供たちの境遇を初めて公に明かすものとなる。
「僕はただ真実を知る必要があった。両親は誰なのか、なぜ彼女は僕を捨てたのか、なぜ彼はそんなことをしたのか。彼は戦争犯罪を犯した」。映画『見えない子供の罠(An Invisible Child's Trap)』のプレミ
ア上映の後、ムヒッチさんはAFPに語った。
ムヒッチさんの生物学上の母親は彼を産んだ後、米国へと逃れた。父親は裁判にかけられ強姦罪で有罪となったが、その翌年、無罪放免となった。
現在22歳のムヒッチさんは、ボスニア東部の町ゴラジュデ(Gorazde)で看護師として働いている。1993年に自分が生まれた病院だ。ムヒッチさんはその後、養子となった。
■ボスニア紛争下の「見えない子供たち」推定2万人
ドキュメンタリーを撮影した監督は、ボスニア人のセムスディン・ゲギッチ(Semsudin
Gegic)氏だ。
「国際人権団体たちは、戦争下のレイプで生まれた子供たちを『見えない子供』と呼んでいる。
だが、私はアレンが『見える』ようになる映画を作ろうと思った。
(ムヒッチさんは)世界中で起きている紛争下の性的暴行で生まれた大勢の子供の中の一人だ」
ムヒッチさんの実母はボスニア東部の村ミルエビナ(Miljevina)の出身だ。
村はセルビア人勢力に制圧され、彼女はレイプされた。
彼女は1993年2月に男の子を生んだが、出産後にその子の顔を見ることさえ拒んだ。
その頃までに彼女たちムスリムは、セルビア人による「民族浄化」によって村を追われていた。
当時30代だった彼女はその後、米国へ亡命し、結婚して2人の息子をもうけたと、ゲギッチ氏はいう。
彼女は戦争犯罪法廷の証言者として保護されているため、映画ではその名前は明かされない。
ムスリム、クロアチア人、セルビア人による他民族国家ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦は約10万人の命を奪い、旧ユーゴスラビア連邦の分裂過程の中で最も悲惨な紛争となった。
戦時下でレイプされた女性のほとんどはムスリムで、その数は2万人以上と推定される。
しかし、現地NGO「戦争の被害者女性協会(Association of WomenVictims of War)」が行った調査によると、戦時下のレイプによって生まれ、捨てられた子供として記録されているのはわずか61人。
実際は、はるかに多いと考えられている。
■養子縁組と母への許し
ムヒッチさんは生後7か月のときに、生まれた病院で清掃作業員として働いていたムハラム・ムヒッチ(Muharem Muhic)さんに養子として引き取られた。
現在60代のムハラムさんと妻のアドビヤさんには二人の娘もいる。
ムヒッチさんは「僕は今、幸せです。素晴らしい家族に引き取られたから。両親は僕を実子のように育て愛情を注いでくれた」という。
彼が自分の痛ましい過去について初めて知ったのは、学校で他の子供たちにからかわれ、ムハラムさん夫妻が実の両親ではないと言われたときだった。
「それがあって、両親は真実を話してくれた。そのときは怒ったが、今は分かる。二人は僕を守りたかったのだと」。
三つの主な民族が憎悪によっていまだ分断されている社会では、このような養子を認めない人が多かった。
「両親は周りから、僕の体にはセルビア人の血が流れているから、大きくなったら親たちを殺すだろうといわれた。
彼らが間違っていたと証明するのが、この映画を作った別の理由だ」とムヒッチさんは述べた。
映画の製作過程を通じて、ムヒッチさんと実の両親との対面の困難さが明らかになった。
「父親は会うのを避けた。だが、母親は完成した映画を見せられた後で、アレンに会いたいと言ってきている」とゲギッチ氏はいう。
母子の対面はまだ実現していないが、そのときはこのドキュメンタリーに付け加えられるだろう。
以前は自分を捨てた母に対する怒りに満ちていたムヒッチさんだが、年を経るにつれて違う感情を抱くようになってきた。
「レイプされたことも、私を捨てたことも、彼女の責任ではない。彼女は痛みに耐えられなかったのだろう。彼女にとって、大きな傷でありショックだったのだ」。
ムヒッチさんは「彼女は許す」と語るが、実父に対してはそうはいかない。
実父は2007年に旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷において強姦罪で禁錮5年6月の判決を下された。
しかし翌年の控訴審では、目撃者の証言に「矛盾」があるとして無罪になった。
この裁判中に提出されたDNAテストの結果から、彼がムヒッチさんの生物学上の父親であることが証明された。
「誰かが彼にそうしろと強制したわけではないのだから、僕は彼を非難するし、許されるべきではない」とムヒッチさんは述べた。
(c)AFP/Rusmir SMAJILHODZIC
http://www.afpbb.com/articles/-/3047949?pid=0
ひどい話だ。ムヒッチさんにとっては、映画に出ることは、本当に自分探しの旅になったようだ。少なくとも母親を許す気持ちになったことはよかった。母親はレイプの被害者なんだから、生まれた子の顔を見るのも嫌で直ぐ捨てたというのは、仕方が無い。レイプした方は、みんながしているから、チャンスがあったから、憎い敵だからという軽い理由でやったんだろう。自分の母親や妹や娘がやられたら、どういう気持ちになる?
もともとろくでもない人間が、戦争や騒乱になると押えが効かなくなってケダモノになるんだろう。