甦れ美しい日本 | 日本のお姉さん

甦れ美しい日本

☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
< 目次 >
◎西村真悟  「これが「改革クラブ」、猶興の士を自負す」
◎レギュラー執筆者 
1.佐藤 守  大東亜戦争の真実を求めて  186
2.松永太郎   「アメリカ悪玉論」をやめよ
◎松永太郎の本の紹介  暗殺者へのレクイエム バリー・アイズラー Barry Eisler Requeim for an Assasin
◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (27)何度も繰返す大相撲八百長問題、いい加減にせい  
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◎西村眞悟 「これが「改革クラブ」、猶興の士を自負す」
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新しい政党である「改革クラブ」が立ち上がって二十二日が経った。麻生総理大臣を国会で首班指名した九月二十四日に誕生したのが「改革クラブ」だ。 それから毎日、街頭でそして集会で、「改革クラブ」と私の目指すところについて、多くを語ってきた。 今机の前に座る時間を得たので、次の通り、話した内容をまとめておきたい。  まず、各所で話したことを項目別に要約すれば、次の通り。
 (目的)
 強く明るく活力ある、そして、誇り高き日本の再興を目指す
 (その目的を達するために)
1、自主憲法の制定を目指す
2、自衛隊を改変して「国民の軍隊」(国軍)を創設する
3、北朝鮮に拉致された総ての国民を救出する
4、まじめに働く国民が報われる社会を建設する
5、家族を重んじ国民相互が助け合う福祉社会を建設する
6、日本人としての自信と誇りをもった青年を育てる為、教育を改革する

 次に、昨日の集会で話したことを要約しておきたい。

1、今までの改革とは何を目指していたのか。
 それは、政策新人類といわれた人達が脚光を浴び、続いて、小泉構造改革といわれた時代の改革である。 その改革とは、グローバリゼイションを目指す改革であった。グローバリゼイションとは具体的にはアメリカ化である。つまりマネーゲーム大国アメリカの要求を受け入れることがこの時代の「改革」だった。 郵政の民営化は、アメリカが張るマネーゲームの賭博場に我が国の郵貯の金を投げ入れることであった。 また、この時代は、市場原理主義が支配して、国家ではなく市場が決めることが正しいとする時代である。国家の関与は悪であるとする風潮の時代である。
従って、この時代に流行ったスローガンは、次の通りで、総て「国家」を否定するか敬遠する内容ではないか。例えば、「官から民」、「民営化」、「地方分権」そして「国から地方」など。これらは総て「国家」を疎んじて「国家」を否定するところを目指しているスローガンである。
 そして、このグローバル化と称する改革の時代は、アメリカの一極支配が終わると同時に過去のものとなった。しかし、この時代が我が国に遺した惨害は計り知れない。それ故か、その象徴的人物はさっさと引退するという。まさに、時流を観るに敏、あっぱれと言うべきか。

2、では、これから為すべき改革とは何か。
 それはグローバル化の反対、つまり日本化への改革、日本再興への改革である。
 従って、我が国は、自主憲法を創設しなければならない。また、国民の軍隊を保持しなければならない。同時に、教育を改革し、我が国の歴史と伝統に誇りと自信を持つ青年を育てねばならない。マネーゲーム的風潮から脱却して、農業を含むものつくりを基盤としたまじめに働くものが報われる明るい日本を目指さねばならない。この為に「改革クラブ」は誕生した。
 さらに、この「日本再興」への改革は、厳しさを増した世界情勢のなかで、今直ちに突き進まねばならない改革である。 その世界情勢とは、アメリカの一国支配の終焉である。世界は多極化に向かっている。その中で、我が国は自立した一極を形成し自主独立の国家として存続しなければならない。
 
3、ソビエト崩壊後のアメリカの一極支配は、既に崩壊が明らかになった。サブプライムローンの破綻から来る現在の金融危機は、アメリカの依って立つカジノ経済の崩壊と自由市場主義というアメリカの理念の失墜という結果を見せつけている。 さらにグルジアにおけるロシア軍の居座りは、二十世紀初頭の満州におけるロシア軍の居座りと同じであり、これにアメリカは手も足も出ない。
 これらは、経済的のみならず、軍事的、政治的にアメリカの一極支配の崩壊を見せつけている。
 さらに我々日本人は、同盟国の裏切りという形でアメリカ一極支配の終焉を見せつけられた。即ち、ブッシュ大統領による北朝鮮テロ国家指定解除である。
 北朝鮮は、日本人を数百名拉致して抑留している。それは、被害者を解放しない限り現在進行中のテロである。五年前、ブッシュ大統領は拉致をテロと認めた。しかし、この度、アメリカの同じ大統領は、同盟国日本の国民を拉致抑留している北朝鮮をテロ国家ではないと認定した。つまり、日本人を見捨てたのである。

4、小泉改革は、アメリカの一極支配を前提にした改革である。従って、日本のアメリカ化であった。しかし、世界が多極化へ動き始めた今、従来の惰性は許されない。我々は自信を持って日本という国家に立ち返らねばならない。 本年に入り、韓国でも台湾でも新しい指導者が国民の多くの支持を集めて誕生した。しかし彼らが当選した直後から国民の期待は失望に変わって支持率は、選ばれた時の三分の一以下に落ちている。 つまり、韓国と台湾の八割近い国民は自ら生み出した政治に失望して選挙における自らの行動を悔いている。 台湾に続いて、我が国までもが、後で悔いが残る選挙結果を出せば、最も喜ぶのは、東アジアのヘゲモニーを握れる独裁国家中国である。 「改革クラブ」は、このような結果を回避するために、国民への選択肢として第三極を目指して立ち上がった。
 今の二大政党制は一種の偽装であり幻想である。この偽装と幻想の元に煽られて二者択一の選挙をすれば、終わってから八割の国民に悔いが残る選挙となる。 これは過渡期の一歩である。多くの同志は必ずいる。
 
 王陽明 「抜本塞源論」末尾と「猶興の士」について
「夫の豪傑の士、待つところ無くして興る者に非ずんば、吾誰と與にか望まんや」
「彼の豪傑の士のごときは、文王出でずんと言えども猶興る」
(我が国の現状に当てはめての意訳)
大勢の仲間が集まったときに始めるのは誰でもする。その大勢が集まるのを待たない少数の時にでも猶興る者でなければ、ともに難局に当たることはできない)
                                    (了)
(注)上記は西村真悟時事通信No.383 平成20年 10月16日より西村真悟事務所の了解のもとに転載するものである。

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◎レギュラー執筆者 
1.佐藤守
大東亜戦争の真実を求めて  186
 このように、誰が見ても「共産主義」と「自由主義」国間の血みどろな戦いが始まっていたにもかかわらず、日米ともに「共産主義の脅威」を認めたがらない風潮が支配していた。コールター女史はこう続ける。

「それどころか、冷戦期の大半は『ソ連の脅威』と言った表現をあざ笑っていた。共産主義の進展は必然、共産主義の独裁者は『農地改革者』、中国は『失われた』のではない。自由世界が望めるものは勝利ではなく、せいぜい緊張緩和(デタント)だ。『虜囚国民』や『自由の戦士』と言った言葉は決まって物笑いの種にされた。ソ連邦の繁栄が続く限り、歴史的『必然』を主張することも愛国的行動の範囲内だった。ソ連の支配が本当に必然なら、リベラルたちは本音まるだしのメッセンジャーに過ぎなかった。ところが、レーガンが冷戦に勝利した。共産主義の勝利は必然などではなかった。左派による共産主義支配の目的論的証明は大嘘だったのだ。この二十世紀最大の戦いで、リベラルたちはただの間抜けか裏切り者であった」

 これは左翼思想にたぶらかされて国内の混乱を齎し続けた日本の左翼主義者にも当てはまる。アメリカでもコールター女史の意見が無視されてきたように、「共産主義の進展がなぜ必然か?」という命題を深く探求することなく、日本の政官界、教育界には漫然と「左翼思想礼賛」の風潮が蔓延した。そしてこれを煽り続けたのが日本のメディアであった。

「ソ連の共産主義の打破については、ニクソンもレーガンに劣らず重要な役割を果たした。ローズヴェルト、トルーマン両政権が、工作員とされるアルジャー・ヒスを高官に任じていたことを暴いたのだ。ヒスの一件をきっかけに、リベラルたちは内なる陰謀を自覚した。もう後戻りはできなかった。ニクソンは、リベラルたちが政府の上層部における共産スパイの活動を防げなかったことを国民に知らしめた。

ハーヴァード大学卒のエリートが束になってヒスを弁護しようと、リベラルの危機は避けようがなかった。そこで嘘を並べ立てて、ニクソンが暴露したヒスの正体をごまかそうとした。半世紀後にはまったく同じやり方で、クリントンを救うことになる」とコールター女史は続けるが、ニクソンもわが国では「ダーティー・イメージ」でとらえられている。それは彼が「ウォーター・ゲート事件」で失脚したことに大いに関係があるが、この事件も詳細に観察すれば、何らかの陰謀だったのではないか?と私は勘ぐってきた。つまり、このままニクソンを政権の座につけておくと、自分達の立場が危うくなることを恐れた「リベラル一派」が、彼に「ダーティー・イメージ」をかぶせて政権の座から引き摺り下ろすことに成功した事例ではなかったのか?
そしてこの「ニクソンのダーティー・イメージ」は、特に「穢れ」に象徴させるように、「汚い」ことに嫌悪感を示すわが日本人にとっては実に効果的であったから、日本のメディアは米国内のリベラルと協調して、これの拡大宣伝に努めた。
その結果日本国民の多くは、ニクソンが「日本と戦った」ルーズベルトやトルーマンが、自己の政権内に「アルジャー・ヒス」と云う共産主義者を取り入れて、日米を如何に戦わせようかと陰謀をめぐらせていたこと、そしてヒスに「スターリンとコミンテルンの連絡係」を許していたことを暴いたにもかかわらず、ルーズベルトやトルーマンの取った「反日」行為に対する怒りは消え失せてしまった様に見える。
これは今、政権交代か?と大揺れに揺れている自民党政権の対応のまずさに見られるようなものであり、保守と革新という対立図式で見るならば、そこに共通して見られる「保守政権の陰謀対策のまずさ」にあるように思われる。

リベラル、つまり左翼政権の「革新」という名に隠された陰謀活動は、一般大衆の心理を旨く擽ることに抜きん出ていて、その大半は「メディア活動」にあるといっても過言ではない。「リベラルたちの背信」はこう続いている。

「共和党は、他の問題の対応にもしくじっている——ヒス事件に先立つ数十年、リベラル派が政治上の覇権を握っていたのも無理からぬことである。しかしニクソンは、ヒス事件で世界を一変させた。リベラルが全体主義の手先だということを暴いたのだ。民主党はもはや信用ならず、共和党と親しくアメリカ的とはみなされなくなった。このためリベラルたちは、ニクソンを断じて許さなかった。ウォーターゲート事件は、ヒスの正体を暴いたことに対する、左派の報復であった。ヒスの名誉回復のために、ニクソンを破滅させたのだ。《ニューヨーク・タイムズ》の死亡記事によれば、ヒスの名声は『ニクソン氏の運命の変転に従い浮沈を繰り返した』ようだった」
 やはり「ニクソンの失脚」は、正体を暴かれたリベラルたちの報復だったのである。これで戦後政治の闇の一端が暴かれた。

日本政治は、米国の政治ほどダイナミックではないが、これも国民性のしからしめるところであろう。しかし、これらの事例からもっと学ばなければならない。
 少なくともあえほどの『多大の犠牲』を払った大東亜戦争の真実を追究することは、民族の使命でもある、と私は思う。大陸政策に没頭していた当時のわが国が、なぜ思いもかけなかった「日米開戦」に踏み切らねばならなかったのか?

 日米戦争といえば、なぜ「真珠湾攻撃は軍事的勝利」だったとか、「ルーズベルトの罠に嵌った情報戦の敗北だ」などという視点でしか捉えられないのか。

 この解明なくしては、日本でも「リベラル派」は隠然として活動を続けることになりはしないのか?安倍、福田、麻生と続いた自民党内閣の閣僚達のスキャンダルを、性懲りもなく暴き続けるわが国のメディアが、単なる興味本位で報じていると思ってはなるまい。ニクソン落しと類似の陰謀だと考えて対処しなければ、やがて日本もルーズベルト時代の米国のように、「リベラル達」が政治の混乱を引き起こし、国民に再び多大の犠牲を強いる事態を避けられなくなるであろう。   (続く)

佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/


2.松永太郎  
 「アメリカ悪玉論」をやめよ
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 「アメリカ悪玉論」が盛んである。とくに、今まで保守系と呼ばれていたメディア(産経新聞や雑誌の「正論」「ヴォイス」など)に著しい。サヨクは、昔から反米であるから、今さらどうでもいいが、保守派の反米論は、初めての現象である。テロ指定国家解除で、アメリカが日本を裏切った、というのである。情けなくて、涙が出る。
 私のような「市井の人間」から見ると、今さらそんなこと言うな! という気持ちになるのである。とくに「9.11」以降、アメリカのイラク政策を支持し、同時に日本政府もそうせよと連呼してきた、中西輝政氏のような「親米保守派」の「転向」は、あまりにも情けない。 今こそ、アメリカを支持せよ、と言わなければ、いったい彼らは今まで何を考えてきたのか、と言いたくなるのである。
 思い返せば、彼らのアメリカの対イラク戦争政策支持の論理はこうであった。アメリカは、今や単独(一極)世界支配できる能力を持っている。かつてのローマ帝国と同じように。したがって、そのよう強大な帝国が実行する以上、多少、その理屈に無茶はあるにせよ、イラク「侵攻」政策は成功するであろう。この際、日本はむろん、それを支持すべきである。イラクはアメリカにかないっこない。中東は、いずれはアメリカに制覇されるに決まっている(これはネオコンの戦略であった)。
なぜ日本がアメリカの政策を支持すべきなのだろうか。そのころは、特に日本の対「北」との交渉(拉致された人を返してもらいたい、という主張)に、アメリカのご威光を借りることができるからである、というのが主たる理由であった。
その時代を生きた「市井の人間」としては、この論理は、そんなにも間違ったものではなかった気がする。なぜかというに、日本は、独自の軍隊を持っていない、したがって、その「国家」のため(その中には当然、自分たちの国民も含まれるが=国民国家であるから)、「生命」をかけようなどという人も、あまり、いない。つまり私たち日本の「市民」は、自分たちの同胞である「国民」が外国に誘拐されような、殺されようが、自力では何もできない。そのためアメリカのような「強い国」のご威光をかりなければならないのだ!という「奴隷の論理」である。
 これは、そのとおりではないのか。自力では何もできない人間(つまり子供または奴隷))は、他人の力を借りなければならないのは、あたりまえである。
 しかし、アメリカの側から見れば、どうであろうか。これは勝手な期待というべきであろう。いくら対イラクの戦争政策を支持してくれたといっても、別に生命をかけているわけではない(危ないところや戦場には行かないようにしている)。それで、いざとなったら、どんなことがあっても、自分たち日本の国民を守ってくれ、というのは、若干、甘すぎはしないだろうか。なるほど、先の戦争では非常に手を焼いたので、二度と「武器を持たせない」ように、洗脳工作を行って、「憲法」も書いてやった。しかし、それから何年たっていると思っているのだ。もういい加減、一人前になったらどうだ。こう言いたくなるであろう。聞くところによると、ヒル次官補は、アメリカ人がイランに人質に取られているとき、お前らは何をしたんだよ、と言ったという。わかるような気がしないでもない。
 あたりまえのことだが、アメリカは、アメリカの国益で動いている。そのアメリカの国益のなかでは、日本の拉致被害者というものは、非常に小さい。それは日本の問題なのである。
 したがって、今回のテロ国家指定解除に関して、アメリカが日本を裏切ったと非難するのは、まるで、まだ成熟していない子供が、親が自分の期待どおり、動いてくれなかったといって、駄々をこねているようなものである。
 イラク政策を支持したじゃないか、だから、北との交渉で日本の立場、つまり拉致被害者を返してくれ、という立場を支持してくれよ、と騒ぐのは国際政治上、あまりにも甘い。どんな小国の外務大臣も、鼻で笑っているだろう。
 ところが日本の{外務省」(すごい名前であるが)は、最後まで、テロ国家指定解除はないか、あるいは、日本政府と十分、打ち合わせしてからのことであると信じていたようである。日本が「ごっこの世界」(江藤淳)に生きていると言われて久しいが、ここまで幻想あるいは夢の世界に生きているとすると、もう、すべては遅すぎる感がある。
 日本(政府)は、ここでは絶対にアメリカを非難すべきではない。すでに述べたように、それは筋違いである。そして、アメリカは、日本(人)以外、ほとんどすべての国がそうであるように、非難されて黙っている国(人)ではない。場合によっては、すでにヒル次官補がそうであるように、交渉相手よりは日本を憎むであろう。そんな真似をして何の国益もないと考えるのが、外交を知っている人である。
 私は、日本の中西輝政京都大学教授のような、日本の外交政策に影響を与えうると考えられる「親米保守派」に言いたい。
ここでは、根性を見せてアメリカを弁護せよ。アメリカはアメリカの国益で動いている。これはすべての外交において当たり前のことである。アメリカはひどい国でもなければ、悪い国でもなければ、信頼に値しない国でもない。
確かに、アメリカは一見、日本を裏切ったように見えるかもしれない。しかし、日米同盟は、そうした一時的なものよりも非常に重要なのだ、と主張せよ。そうではないのか?
 その上で、次のように主張せよ。アメリカとの同盟が日本の国益にとっても死活的に重要なため、日本は、さらに強い同盟関係を結ぶためにも、憲法を一時的に廃棄するか、あるいは改正し、自衛隊を「国軍」とする。その上で、新たに相互的な安全保障条約を締結するだろう。その上で日本は、自国民を誘拐したり、殺害したり、するような国に対しては、独自の交渉を持ってのぞむだろう、と。このような「国家の自立」を主張しなくて、いったい「保守派」に何の意味があるのか。

松永太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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◎松永太郎の本の紹介 
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暗殺者へのレクイエム バリー・アイズラー Barry Eisler Requeim for an Assasin
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 プールサイドとか飛行機の中で読むような、肩のこらないエンターテインメントであるが、作者がCIAで、秘密工作を担当する部門にいたことがあり、作戦の描写には、リアリティがある。
 このアイズラー氏は、日本に長く滞在して黒帯をとり、パナソニックにも勤務したことがあって、日本好きなのだろう。連作の主人公ジョン・レインは、日本人とアメリカ人の混血、日本と結婚し、子供までいる、という設定だ。すでに何冊も発表し、いずれもベストセラーになっているそうである(翻訳があるかどうか知らない)。私が読んだのは、この「暗殺者へのレクイエム」だけだが、つくづくスパイ小説の変化を考えさせられる。
 たとえばスパイ小説家のジョン・ルカレのもとに、引退が決まったイギリス秘密情報部の長官デヴィッド・スペリング卿が訪ねてきて、「まったくひどい世界になったものだ。君にさえ想像がつかんだろう」と言ったそうである。
 簡単に言えば、ソヴィエト崩壊後、そしてさらには、9.11以降、なんでもありの世界になったのである。かつてCIAとKGBが正面きって、互いに殺しあうというのは考えられなかった。一種の紳士協定があって、二重スパイは別とすれば、単に国外追放または逮捕してスパイの交換、あるいは、説得して寝返りさせていたのである。terminate with extreme prejudice というのは暗殺をさす言葉だが、互いのスパイ機関の高官同士には、これは適用されなかった。誰もがCIA長官の家を知っていたし、KGB長官の専用車が何時にどこを通るか、公然の秘密だった。
しかしテロの時代は異なる。いまや、いわゆるrendition はあたりまえである。これは、秘密のうちに誘拐し、別の国に連れて行って、拷問する方法である。おっかない話だが、拷問はウオーター・ボーディング(水責め)とかいろいろあるらしいし、その方法の実態はアブ・グレイブ刑務所の事件によって明らかになってしまった。世界は、ひどいことになっているのである。
いずれにしろ、いまやスパイの世界は、カウンターインテリジェンスと呼ばれた、いわゆる頭脳ゲームから、アメリカのTVドラマ「24」みたいなカウンターテロリズムの世界になったのである。これはトム・クランシーの世界である。潜入し、暗殺し、拷問する世界である。読んだり、見たりする分には、おもしろいが、とても素人の世界ではない。この本にあるように、現場の偵察の仕方、相手の狙い方、拷問の耐え方などを特殊部隊のようなところで徹底的に訓練を受けた人間出なければ、一日も生き残れない世界である。現在、戦争や特殊戦争、さらにはテロリズムの「民営化」に伴い、世界中にこの種のプロが増えてきたらしい。まことにおっかない世界になったものである。今、日本では下手にインテリジェンスなどという言葉がはやっているが、素人の火遊びはやめたほうがいいと思う。それぐらい、真に迫った小説である。

松永太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (27)   何度も繰返す大相撲八百長問題、いい加減にせい     
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2008.10.17

大阪から大和盆地に至るには万葉の詩歌に詠まれている二上山を経由する旧街道があり、その麓を出たところが知る人ぞ知る中将姫の曼荼羅図伝説とそのタペストリーのある当麻寺の当麻の地である。山影の高台にひっそりと姿を見せる一対の三重塔と域内に点在する何世紀にも亙る本堂や書院の建造物は人気のない冬に訪れ大和時代を偲ぶのにはもってこいである。奈良観光の穴場と言える。

一方この地は神代の昔の勇壮な当麻の蹴速と出雲の野見宿禰の相撲決闘神話でも知られていて、勝った野見宿禰に当麻の地が朝廷より与えられたことになっている。お互いぶっ倒れるまでひたすら蹴りあうという力比べであったにもかかわらず、何故かこれが相撲の起源とされており、爾来相撲が神社に奉納される祭りの伝統的神事として行なわれて来たらしい。織田信長の相撲好きは知られていてしょっちゅう力自慢を集めて相撲大会を開いていたらしいが、これが何時から今の大相撲の様式に統一され国技と出世していったのか一寸興味がある。織田信長の趣味が嵩じて勝手に国技に指定し、勅許でも得たのだろうか。
処で最近頻繁に見聞きする大相撲八百長疑惑騒動である。(無理やり此処に話を引っ張ってきた観があるなー。)

大相撲の取り組みに八百長もある、と言うのは何年か毎に話題になっていてそれ程驚く話でも無いが、今回は国技の認識など全く無さそうな外国人破門力士が告白したり、世紀の貴乃花北の湖戦も実はそうだったと言う記事が週刊誌に出たり、大相撲協会がその週刊誌を告訴したりで、お互いの面子を賭けて暫く話題は続きそうな雲行きだ。
大相撲の八百長、何処がいかんのだ。

オリンピック競技での上位決定戦ともなるとお互い殆ど一生に一度の名誉と栄光を賭けた戦いと言う事で、此処に八百長が入り込む余地は全く無さそうだけど、殆ど同じメンバーで年に何度もトーナメントが行なわれる大相撲では実力だけでなく情実、銭の遣り取りが行なわれるで有ろう事は子供でも感付いている。

この業界は自分一人が生き残れば良いという訳でなくお互い皆が生き残って人気を高めていかねばもたない世界だ。ファンは大男のデブたちが汗を飛ばしてぶつかり合い、技を掛け合うのを見て楽しんでいる。八百長であれ真剣勝負であれ知った事じゃ無い、観て面白ければファンは絶えず、興業も生き残り皆ハッピーである。それだけの事である。
いい加減で相撲協会は、興業を面白く長続きさせるため八百長もあり得まっせとあっさり認めて、こんな馬鹿げた論争は止めにして欲しい。

相撲に限らず興業の世界は何処も八百長で面白くし、それで人気寿命を延ばしているのに何故相撲だけが槍玉にあがるのか。
槍玉にあげるなら公共事業の入札八百長や、事前に通知して官僚が用意した答弁を読むだけの国会質疑など、もっと深刻でしかも世の中に充満している八百長問題があるぞ、と言いたい。

兎に角、大相撲は国技なんて身の丈に合いもしない称号を奉っているからこんな事で騒がれる。一日も早くあっさり国技の名を返上して只のスポーツ興業に戻ればいい。
それこそ今後益々避けられない相撲取りの多民族化に適応でき、八百長も許される唯一の道だ。

当麻の蹴速も野見宿禰との足蹴りの死闘が後に国技に祭り上げられる事になろうとは、夢にも思わなかったに違いない。了。
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