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少しさぼっておりましたが、正月三が日は我が家でのんびり過ごし、4日5日と珍しく?東京の事務所に出勤、今日はようやく12月18日分の振替休日です。


昨年を振り返って見ると、偶然と言うのか、ある種必然だったのか、家内の実家が福島第一原発事故の避難区域内だったことから、大震災とともに、原発事故関連での間接的関わりを持つ機会の多い一年でした。

我が家の那須、むしろ避難区域よりも放射線量自体は高いのですが、それでも精々7マイクロシーベルトですから、別に気にする積もりはありません。
ラジウム温泉に入っている、あるいは飛行機で飛んでいる状態が普段よりも長い程度の線量なのですから、気にする方がおかしいと思います。
むしろ、人体に対する影響からいえば、携帯電話を使いまくっている人が電磁波から受ける影響の方が危険なはずで、騒ぎすぎとしか思えません。

チェルノブイリ事故の被害者も、放射線量そのものよりも、親が不安になったり、騒いだりする方が子供に対する影響が大きいと証言していましたし、セシウムについては、アメリカまで飛んでいったぐらいですから、日本どこに居ても大した差はないとも思っています。

また、実際に6月に避難区域を訪れた経験から言うと、どこぞやの政治家が言った言葉と反対で、自然は本当に生き生きとしていて、人間が居ないことが如何に自然に優しいかを証明したような状況でした。
つまり、たった3ヶ月間人間が居なくなっただけで、豊かな自然が戻っていたのです。
これまで、都会から来た人による大変迷惑な乱獲によってとれなくなっていたキノコも、昨年は誰もよりつかなくなった結果、大豊作だったのです。
もっとも、キノコは周辺の腐葉土から栄養分を吸収した結果生体濃縮しますから、放射性セシウムは2万ベクレルといった数値を記録していたそうです。
でも、収穫して食べた人は、「何時もの年よりもうまみがあっておいしかった。」と証言していました。

除染も変な話で、大して危険でもない放射線量の土砂を集めたらどういう結果になるか、頭で考えればわかりそうなものなのですが、何故そんなことをするのでしょう。
放射性セシウム、広島、長崎の研究から、3年も放っておけばほとんど外部には移行しなくなるし、8年もたてばほぼ無害化されるのですから、金かけてまで掘り返す必要性があるのか、疑問に思います。
まして、自分の所には貯蔵施設を作らせない、他からの受け入れも駄目などと大変自分勝手なことを全国の住民が言い出せば、そもそも除染作業自体できなくなると思うのですが。

原発停止も同じで、エナジーレベルの高い燃料ほど事故が起こったら大変なことは認めますが、再生可能エナジーは、狭い日本で、これから対策したとしても十分な量を確保できるのははるか先の話です。
ドイツは、元々風力や太陽光発電についてかなりのインフラを持っていたから、原発を何基か止めたら割合こそ逆転しましたが、足らない分はフランスから原発の電気を買い込んで賄うわけですから、正直意味があるのか疑問です。
今までの原発事故の頻度からして、原発を停止するよりも、当面の代替エナジーを石油天然ガスに変える事の方が、大量のCO2を発生させ、大きな環境汚染を引き起こすと思うのですが、何故その辺まで考えないのか、これまた不思議に思っています。

民主党政治については、正直あほらしくて見ていられない状況です。

沖縄の普天間基地移設問題などは、国家間の合意事項である日米合意をひっくり返す非常識なマニフェストを掲げること自体問題ですし、それを真に受けて支持する方もアホですし、アメリカに行って、合意通りにするからトラスト・ミーと言ってきて、帰国したら反対のことを言う某首相たるや、嘘つきとしか言いようがありません。
アメリカ議会は、普天間基地の辺野古移設が明確にならないと、海兵隊グァム移転の予算も計上しないと言っているだけなのに、それを普天間移設反対であるかのようにねじ曲げて報道する新聞社までいることも大きな問題です。

八ッ場ダムについても、関係都県の民主党議員の多くは建設に賛成していたのに、党内の合意もへったくれもなく、建設反対のマニフェストを掲げたことも非常識です。
また、関係もないのに、わざわざ地元の人たちに苦情電話をかけまくったり、嫌がらせをしに地元に押しかけた人々の常識も疑います。

労働基準法を無視して、国家公務員の給与を削減するとの公約を掲げ、それを予算に充当するから、子ども手当も高速無料化も可能と、取らぬ狸の皮算用マニフェストを掲げたことも非常識です。

大震災というアクシデントもありましたが、散々批判していた国債依存予算を更に推進してしまっているのですから、これも公約違反としか言いようがありません。

それ以上に、それを信じて民主党を支持した国民が馬鹿ですが。

さて、今年はというと、実は私の予知?上は来年以降の存在は微妙なところなので、何と表現したらよいのか、よくわからないでいます。
元々、3年前に死ぬのが当初の運命だったようですから、生きてるだけで丸儲けと思って感謝しつつ過ごしている毎日なのです。

12月にマヤの長期暦が終わるのが少し不気味なところで、私の前世記憶で、天使達が2012年には決断させると言っていたことが気がかりです。

ただ、天使よりも上、この世を自由に作り替えることができる全能の女神セイシさまは、「人間の過半数が未来に希望を持たなくなったら、この世界は終わりかな。」とぽろっと言いましたから、そちらの方が気になるところです。

未来に希望を持つこと、それは政治に頼るものでも何でもなく、自分自身にしかできないことです。
子ども手当が無ければ子育てしないなんてことはあり得ません。

今年こそ、他者に責任転嫁することなく、自分で自分の人生決めて生きましょう。

画像はヤドリギです。
他の木に寄生する木で、冬でも緑です。
生命力を表すとしてか、古代ケルトでは万能薬としてドルイド僧が秘伝で処方していました。
縁起の良い木ですから、今年最初の画像としてみました。