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真冬並みの寒波が襲来しているようで、短い那須の自宅での休日は、氷点下の日々でした。

さて、体の方はほぼ回復し、今は仕事のために熊本県の荒尾市に来ています。
悲しいことに、この荒尾市での仕事、今回で終わります。
詳しくは、明日触れようと思いますので、その理由は、今日は触れないでおきます。

九州も、今日はかなり寒かったようで、福岡空港に着いた時、晴れていて一番暖かいはずの14時30分だったにもかかわらず、10度しかありませんでした。
しかし、氷点下の那須から来ると、そこそこ暖かかったので、ホテルで自転車を借りて、少し走ってみました。
自転車でこけかけた先週の木曜日とは雲泥の差で、後ろを振り返っても全くふらつくことはなくなりましたし、歩いても走ってもバランスが崩れることもなくなりました。
ようやく、平衡感覚も元に戻ったのでしょう。

私が初めて荒尾市を訪れたのは、昭和54年の大晦日でしたから、もう32年になります。
32年前は、まだ三井三池炭鉱の一部がまだ操業中であり、有明海沿岸には巨大なぼた山が並んでいたのが印象的でした。
その分、地域は潤っており、荒尾と、隣接の福岡県の大牟田は、活気のある町でした。
それが今や、閑古鳥の鳴く静かな町になってしまいました。
大牟田から、西鉄新栄町の間の商店街の凋落は、悲惨なものがあります。
常磐炭田は、閉山されるときに常磐ハワイアンセンター、現在のスパリゾート・ハワイアンズを設置し、地域の雇用確保を図りました。
三池炭鉱は、三井グリーンランドを作り、国内だけでなく、韓国からの観光客の誘致も図っていますが、大した効果はあがっていないようです。

皮肉な話ですが、原発の停止で、今また石炭が注目されるようになってきました。
資源価格の高騰で、今更ながら、閉山しなかったらよかったのにという声さえ聞こえるようになってきたのです。

でも、燃やせばそのまま二酸化炭素になる原油や石炭と言った炭素系燃料を今更復活させるよりも、危険性はあるものの、原子力の管理を厳格化した方が、環境のためにははるかによいのではないでしょうか。
二酸化炭素、大変安定した物質です。
つまりは、他の物質に変化させにくい分、処理するのは、大変なのです。
処分のためには、液化して深海に流し込むとか、地下深くに埋めるとか、これも皮肉なことに、使用済み核燃料と同じような処分方法しか考えらないのです。

脱線しましたが、強烈な煙が出た昔の蒸気機関車ほどではありませんが、石炭は、燃やせば二酸化炭素だけでなく、いろいろなものが出てきて大変なので、何を今更と思います。

昔炭鉱の町だった荒尾市周辺が寂れた理由は、閉山で雇用が無くなったからです。
でも、どうやって人々の雇用を確保していくのかと考えると、公共事業も、原発も、大きな雇用を産んでいましたから、下手に削減してはいけなかったのだと思います。
原発に至っては、直接の雇用よりも、雇用を生み出す製造業の燃料となる電気も作ってくれるのですから、必要だと思います。

大体、無駄を省いて子ども手当をと大風呂敷を広げた某政党がやったことといえば、公共事業を減らしたために、数万人の雇用を奪ったにもかかわらず、子ども手当も効果があったとはとても言えず、マスコミが子育て不安を煽ったために逆効果になっただけではないでしょうか。
大体私自身の経験から言っても、今の50代以上の世代は、将来が不安だから子育てしないなんて、本末転倒の思想自体無かったと思います。
子育ては、自分の家庭を築くためにすることで、不安だからしないような性格のものではないはずなのですから、近頃の若者が、そんなことで影響されるのなら、アホとしか言いようがありません。(私は、ちゃんと3人育てました。)

お金も、使わなければ回りません。
浪費はいけませんが、適切に使わないで倹約ばかりしていては、日本の経済は縮小する一方で、絶対成長しません。
そのためにも、雇用確保がもっとも大切なわけです。
生活保護も悪いとはいいませんが、年金や最低賃金を上回っては本末転倒で、働かない方がいいことになってしまいます。
日本の産業の強みは、勤勉で質の高い労働力なのですから、その長所を削ぐようなことをすることも、本末転倒なのです。

寂れた町を自転車で走って、いろいろ考えさせてもらいました。

画像は、夕暮れの荒尾市近郊です。