見方道アドバイザーのどいしゅうです
今日数あるブログの中から、
わたしを見つけてくださった皆さん
今日数あるブログの中から、
わたしを見つけてくださった皆さん
ブログ筆者のどいしゅうについてはこちらをご覧下さい。
https://ameblo.jp/ny358/entry-12492166128.html出会ってくださり、本当に、本当に
ありがとうございます
そして、いつも
ブログを読んでくださっている皆さん
今日も無事に更新することが出来ました
再びここで出会えたことに、
心から、心から、感謝申し上げます
ありがとうございます
ありがとうございます
そして、いつも
ブログを読んでくださっている皆さん
今日も無事に更新することが出来ました
再びここで出会えたことに、
心から、心から、感謝申し上げます
ありがとうございます
(画像:一心寺三千佛堂)
6月27日(土)開催 オンラインでの
映画『ひかりの国のおはなし』上映、
荻久保監督とどいしゅうのお話会
参加してくださいました皆さまより
以下のたくさんのメッセージ&ご質問を頂き
6月27日のお話会または質問コーナーで
回答させていただきました。
時間の関係で回答ができなかった質問は
このブログや「ひかりの国のおはなし」の
メルマガの記事としてアップしていきます。
よろしくお願いいたします
映画『ひかりの国のおはなし』メルマガ
(メールアドレスの登録が必要です)
Q.
マンション住まいで
仏壇もなく、墓参りも時々しか行けてません。
あちらの世界では、そういう
人に対して罰を与えますか。
どいしゅうが思う
A.与えないと思います
(解説)
人は亡くなって体(肉体)から抜け、
たましいだけの状態になると、
そういった細かいことは気にならないからです。
お墓に来る来ない、仏壇を置く置かないよりも
故人のことを時々でも思い出してくれるか
どうかの方が大切だとわたしは考えています。
(思い出してもらえないから罰は与えません)
そして、思い出してもらった時、
仏壇やお墓に手を合わせてもらった時
「悲しい、つらい、寂しい、苦しい、怒り、
本人が自分を責める」のような想い(念)が
あると故人は非常に困ります。
むしろ、
「そちらの世界はいかがですか?(歓び)」
「元の世界に戻れて良かったね(楽しい)」
「こちらのことは心配なく 笑(安心)」
のような感謝の想い(念)があると
故人は非常に嬉しく、安堵して、
いままで以上に応援しようとします。
立派なお墓を立てたり、仏壇を置いても
まったく手を合わせないなら、
形だけになってしまいます。
むしろ、お墓がなくても仏壇がなくても
「ありがとう」と故人を思い出して微笑む
その場で手を合わせてくださる方が
何倍も、何十倍もつながりがさらに太くなる
のではないかなと感じます。
ある方から聞いた話です。
仏壇のろうそくは、そちらの世界が
暗かったらいけないから。
お花は、何もない世界だと寂しいから。
線香は、くさいといけないから。
ごはんは、食べるものがないといけないから。
.....と考えられていたからだそうです
故人の生前の行いを見ていたら
明るくて、花がいっぱい咲いて、
ステキな香りがする、好きな食べ物を
イメージするだけで満足する世界に行った
と信じたら、仏壇という形にこだわらなくても
いいかもしれませんね
ありがとうございました
感謝