ピカソの「ありがとう」つれづれ日記 -2ページ目

ピカソの「ありがとう」つれづれ日記

日頃、生活していく中で、「ありがとう」と思うことがいっぱいあります。そんな思いをブログにつづっていきます。また、趣味の絵の話も紹介していきます

 

今日は孫の誕生日。

 

お昼にお寿司とケーキでお祝いした。

 

その後、河川敷きを散歩した。

 

孫は3歳になるので、もう一人で元気に河川敷きを走りまわる。

 

河川敷の上に電車が通っていて、

 

電車が通るたびに踏み切りの遮断機がおりる。

 

その時、赤いランプが点灯し、

 

カーン カーンと音がする。

 

孫は乗り物が好きで、電車が通るたびに

 

「カーン カーン でんちゃ でんちゃ」 

 

と言って電車を指さし、体全体をつかってとびまわり、

 

おおはしゃぎする。

 

 

 

クリックお願いします

    ↓

 

にほんブログ

 

 

 

 

 

 

どこまでも続く線路のように、孫の人生は、

 

これからもどんどんのびていく。

 

 

ぼくの人生は鳴かずとばずだったけれど

 

孫の人生を応援したい。

 

「がんばれ。3歳おめでとう。」

 

 

 

来年働くかどうか、自分の中でゆれている。

 

 

 

 

 

 

中学生くらいのことだと思うが

 

母とふたり墓参りに行ったことがある。

 

山をきりひらいてつくった墓地

 

やぶ蚊もおおいが、蜂もでてくる。

 

墓の掃除をしていると、蜂がとんできて母の足をさした。

 

母はサンダルを履いている足首あたりをちくりとさされ、

 

足首が赤くはれてきた。

 

大変だ。

 

山の中なので、近くに薬局も病院もない。

 

昔なにかの本に、蜂にさされた時は

 

アンモニアがいいとのっていた。

 

アンモニアがない時は小便でもいいと。

 

急いで母の足に小便をかけた。

 

しばらくすると、はれもひいてきたので、

 

母をせおって山道をくだった

 

母は僕の耳元で言った。

 

おおきいなったなぁー

 

小便をかける時に見られた。

 

とっさの時だったので、そんなことは考えなかった。

 

母もぼくのおむつをかえる時は

 

見ていただろうが、中学生になった頃はそういう機会もなかった。

 

ちょっとはずかしかった。

 

しかし、母をせおいながらよく考えた。

 

ぼくが母を背負うくらい背が大きくなったという意味だったかもしれない。

 

母も亡くなってことの真偽を確かめることはできない。

 

ぼくにとってちんじけんである。

 

真っ赤なまんじゅしゃげが咲くころにうかんでくる母との思いでである。

 

 

 

もう母をせおうことはない。

 

 

クリックお願いします

    ↓

 

にほんブログ

 

 

 

 

 

 

五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみわたる。

 

秋の味覚をさかなに、ビールを飲む。

 

仕事でちょっとがまんした頭と体と心をいたわる。

 

このひとときのために仕事をしているのかもしれない。

 

仕事が終わった後のビールは、のどに泡のしげきがひびく。

 

このしげきがたまらない。

 

この楽しみのために生きている。

 

 

日頃の生活のなかにも、

 

いろんな楽しみ、

 

ささいな楽しみが、

 

ジグゾーパズルのように、ちりばめられている。

 

ひととくらべない。

 

ひととくらべられない。

 

自分だけのパズル

 

 

 

 

 

 

 

 

クリックお願いします

    ↓

 

にほんブログ