空気の入れ替えのため、窓を開けて、撮り貯めを消化しながら・・ウトウトなっていたところに、流れてきた轟音は、田舎ならではの絶賛かまってちゃんが、吹きならずバイクのエンジン音。
中途半端な集団を組んで、向き合えない自分を恥じることを知らないでいられる。 なんとも のどかな 伊賀市である。
まぁ 伊賀市の稚拙な おとなたちに比べればって話だけどねぇ・・。
さて、すこし思いを巡らせて・・・
スペインの哲学者 オルテガ・・現代に読むべき著書としてとりあげられている彼が著書「大衆の反逆」の中で語っている ふたつの言葉を取り上げて、その大切さを書いてみようかな・・。
ひとつは、「大衆」といういきもの的な意味での「大衆」そして、もう一つの言葉が「生きている死者」
ヒトは恐ろしくて、弱く、不安定な存在だ。
すこしの違いで、命を奪うことも正当化してしまえる、まことに愚かしく恐ろしいものだ。
「大衆」と化した人たちは、恐れから逃れられない。
自分の今に、何も推し量れる尺度を持たず、いろんなものを決めているために、先の見えない砂漠を延々と歩く。
今の私たちは、膨大な過去の人たちの英知によって、存在している。
「生きている死者」とは、その英知そのものである。
失敗と成功を繰り返し、その想いを紡いでいる。
不安定な存在から、はじまる 私たちは、本来、死者たちの英知と共に生きている。
どこかで触れていた、その想いや願いを、その力にして、今を、一歩一歩着実に歩く。
今の大衆人たちは、その不安も感じることがないのかもしれないが、知らないでは、いられない。
ヒトは、他者なしには、生きることがない。
疑問に思うことは、過去との繋がりを感じるチャンスでもある。
ほんのすこしの油断で、ヒトでなくなってしまう前に、ヒトである幸福ある未来のあり方を思える人でありたいものだ。
オルテガが、語り残したかったものは、「生きている死者」との繋がりを知り、未来に生きろ ということなのだろう・・。