日本昔話の印象が強い 市原悦子さん 悦子さんが生涯綴ってきた 朗読の世界。
悦子さんが、発する語りには、その登場人物やキャラクターとの問いかけみたいにものが内面で行われているという・・。
自分と繋がったもので、語り出した音は、内面に響き、その表情として、彼女に返ってくる。
ひと としての興じは、多数との共感を伴う一体化にあるのかもしれない。
訳もなく流されている 大衆化の それとは ちがうものだ。
これは、一瞬の出来事であろうと、一生の宝物にもなるものだ。
彼女は、この語りの中で、自分に力を与えてくれるものを、まじまじと見ていた。
それは、語りという表現と向き合っていた彼女自身を回りが感じていた結果でもある。
彼女は、その先に何を見ていたのだろう・・ 。
ヒトは、どこに向かうことができるのだろう・・ 。
広がりを知らない バイオリニストは、いくら高額なバイオリンを手に入れようとも、共感をしらない音しか 奏でることができない。
繋がりを知らない、この音は、狭く狭く、ひとりの世界しかしらないでいる。
名器は泣いているだろう 音が奏でられない バイオリニストの手の中で・・・。
ヒトに何が見えているのかは、その人次第である。
何も知らない大衆ではなく、自分だから見える世界が、とても大切なのだ。