山間には、ちらほら新緑の芽吹きが見えはじめているけれど、なんだかわからない強風は、おだやかさをかき消してしまうよな・・。
高校時代からの愛読漫画FSSが・・連載の再開は知っていたものの、もうすでに新刊が二刊出ていた・・新品を衝動買いしてしまったがな・・。
じっくりじわじわ読みふけるなんていうのも、ひさしぶりだ。
さてさて・・
ここのところの ココロの記事のテーマは、「歩き始め」というよりは、「動きはじめ」というものがしっくりくる。
心の活動は、何かに自分のココロが動かされ、それを感じとる自分がいる。
暗闇から広げられてきた、自分という世界は、この行為が積み重ねられて、今の自分に至っている。
未成熟で、はじまった、ちっちゃな粒の自分は、器官の拡張を繰り返して、こんなに大きくはなっている。
でも、果たして実際は、動き始めているのだろうか・・。
感じ取る機能は備わってはいるのだろうと思うけれど、それと「動き始め」という行為には雲泥の差がある。
これまで、井戸の中から、見上げる出口のるまぁるい空へ蛙くんがいざ出ようとする時の不安や緊張は、本当なら計り知れないものなのかもしれない。井戸の中だけの経験からは、何もわからない世界だからだ。
ヒトの活動には、必ず、この不安や恐怖や孤独が付きまとう、それは至極当たり前のことである。
この「動きはじめ」という行為が、ここでいう蛙くんが、外に出ようとすることに似ている。
想像もつかないような広い世界へと足を踏み出そうとできる蛙くんには、何が必要なのだろう・・。
その一歩目の前のゼロ歩目が、なにげに、とても大切になる。 それは、また次回に、とするかな・・