最近は、めがね萌えが、時々止まらなくなりそうで困ることがある。
ソレだけではないとは言え注視してしまうんだよ。
もともと足フェチ傾向にはあるんだけど、合うめがねかけてる娘を目にしてしまうと萌えてしまう。
「好き」をじっくりと育んでいければ、こんなことが少しずつ少しずつ、それはそれは愛おしく育っていくことになる。
それは、存在が特別になっている証しでもあるかもしれない。
かと言って、それは簡単なことではない。
例えるとヒトは、真っ暗闇の中を歩いているようなものなのだ。
つまりは、真っ暗闇の中から「好き」という感覚を手に入れること自体が、どんなにいくつもの経験に基ずつものなのかってことだ。
だから、「ホント」は尊いし、深くて、愛おしい。
でも、それは、経験を重ねてなきゃ 手にできないものなので、
もがいても、手を出してみるしかないのだ。
そのために、ゆっくり距離をとりながら、わたしたちは、「ホンモノ」の想いをめざしていく。
アドラーは、実際のヒトの世界の狭さを伝えたかったのかもしれない。
ガンディーの「良いことはカタツムリのように進むのです」って言葉は、ヒトが「ホンモノ」に向かう最短ルートを示しているってことなのかもしれないな・・。
そして、ひとつでも「ホンモノ」に触れることができたと実感できれば、「幸」の在処が見えてくる。
どうか、その「ホンモノ」にたどりついて、次の世代に、その経験を伝えてほしい。と思う 不甲斐ない ぬう なのでした・・・。