久しぶりにミニ耕運機を動かし終えて ブレンディ の スティックカフェオレで 一服です。
さてと・・・
ヒトってやつは、多かれ少なかれ時代の流れに左右され 腐る可能性を多くはらんでいるものなので腐るってものは、ある意味必然のことなのだろうが、それが問題になってくるのは
そのことを知ろうとしない無知さによって人生を左右されるダメージを負うヒトがいたり、最低限の幸福を追求する権利すら侵害されるヒトがいたりしてしまうこと。
伊賀市には生徒といっしょにいじめに参加して内申書にまで嘘を書いて人生をこわしてしまった輩が今もなお結構上の役職で教職をしていたり、看護師の資格をとりながら、役員の親の傘の下で神様きどりで、老齢のヒトをぬるま湯に一時間以上放置肺炎をおこさせた奴もいたり、あるところでは、できもしないターミナルケアを掲げ居室に時計を設置するのをケチっていたり、素人じみているのは、入歯洗浄剤を「半分にケチって使え」という
なぜ自助作用が働かないのだろう・・・???
本来なら悪い事業は淘汰され営業が立ち行かなくなるのが健全な流れだろうから、なぜなのだろう・・・こんなの平気でいられるってものは・・・。
1974年ミルグラム博士はある実験を試みたという。
それは「権威への服従」という、とても怖いものになった。
先生と生徒役に別れる
被験者の先生役が生徒役に簡単な問題を出して答えを間違えると先生役は生徒役の電気椅子に通電 ・・電気を流す
15~450ボルトまで30段階
400ボルトを超える電気ショックは死に至る危険があると説明され仮に死に至っても罰せられないと説明を受けていたそうだ。
結果は・・・
先生役の62.5%までもが最後の450ボルトまで実験を続けた。
ここでは、罰を与えられるという権威に屈してしまった結果だという
「見て見ぬ振り」ヒトが簡単に他のヒトの痛みを無視できてしまう大きな落とし穴がここにはあるのだ。
ヒトは未成熟ではじまる。その結果 こんなにも でっかい危険に常に晒されつづけている。
知らないで過ごしていては、ヒトではなくなるのは、すぐ目前の事柄になっている。
きっと、そこのあなたも・・・。
ここに書いた輩たちは、ある共通のことをヒトを捨てて行ってきている。
老齢の被介護者に、なんと一時間以上湯船の中に放置できた看護師は、なぜ問題にならずに、まだ看護師をつづけられているのだろうか?
介護の分野で口腔ケアの大切さも、知らない経営者が、なぜ企業し続けられているのだろうか??
この人でなし看護師もどきは、このことをどんな風に記録に書いておいたのだろうか・・・
監査役人はヒヤリハットの綺麗な内容に疑問を持たなかったのだろうか?
このなんちゃって経営者のじぃさんは、どうだろう・・・認可を続けている役人は??
伊賀市?? 三重県??
それぞれがヒトとしてヒトであるべきなのだと思う。
法に準じているから問題はない?
起業をゆるくしてしまえば、こんな輩は増える増える
得てしてイエスマンを自分の周りに置き自分より見識のあるものは辞めさせていく。
できないヘボが上にのし上がって・・あるのはヒトでなし育成企業となってしまう。
このちいさな火種は、おおきな戦争にまで発展してくものなのかもしれないと考えてしまうのは、ぬうだけなのだろうね。
そして、ヒトは、これを知ろうとしない限り消えてしまう存在なのだろう。