ここのところ、音に浸ることと言えば、もっぱら車のスピーカーからの音になってしまっている。部屋のコンポが不調なのもあるんだけど、浸るってことができていなかったりしていた。
何かに、ふと押されるようにして、気になっていた音を伝って、PVめぐりをしている。
ほっこりを求めて、ニコ生の放送なんかを、なんのきなしにめぐっていても、お気に入りになるのは、そうそう多くはない。
いやっ、少ない・・・。
特に、歌い手と思われる人のお気に入りは、数人のみ・・。
音が、人の中を動かしている時の、その幅は、ささやきから、強い思いへの、この差の大きさに比例してしまうところはあるのかもしれない。
まずは、なにげに浸れるところまで、もってかれる。ところから、はじまり、そのささやきや叫びは、どうやってリンクし始めるのだろう。
それが、一番のひびきなのだと思う。
つまり、オンラインで繋がる音って感じだろうか・・。それは、華美でもなく、かざらない素な思いに他ならない。
素な思いが迫れば、聞き手は、そのリンクを許して、音が流れ込んで、どっぷりと浸りはじめることができるのだ。
それは、きっと熱く響いて、なにかを注入していってくれるようなものにもなる。
技巧のうまさは、この表現をするために使えなければ、無意味に近くなる。
素が、自分の世界であり、自分の音であり、自分の響きになるのだから、
さて、どんな響きを誰に伝えれるのだろう。
それは、おとだま を届けるだけではなく。 表現の本質のようなものになるのかもしれない。
んだけ、感覚が刺激されちゃ しばらく寝られそうにないなぁ・・・。
どうか、自分らしい一番の響きを、おとだまを・・・。