大寒を過ぎて、気温は、のんびりと上向きになろうとしている。この時期。
こんな時は、すこし気分が、のんびり上がってたりしませんか?
ん? ないかぁ ・・。
毎日のルーティンワーク ・・繰り返し、また、繰り返し ・・
できる上司がいない中、のんべんだらりと、日中を過ごしていけるヤツは、それなりにやっていけるだろうが、なにか物足りないのは、何かにギャップを感じはじめているからか・・。
何かを、はじめるのに遅すぎることはないって 感じでしょうかね。
何か、特異なことに遭遇して、ココロに傷ができてしまう。 いろんな感覚が、現れて じゅくじゅくと傷は痛みはじめている。 周りからは、見ることができない形を持たない、その傷は、自らの動きの中でしか、治癒の道に踏み出せない。
例えるなら、車の運転をはじめて、しばらくすると思いもかけず、大きな事故に会ってしまう。
この先、「運転ができるのだろうか?」 「できるようになるのだろうか?」 こんな状況に似ているのではないだろうか・・。
この彼は、きっと、まだ、ほんとうに傷を見ていないのだ。(見えていないってところだろうか)
襲われる恐怖心と立ち向かう勇気が持てないのだ。
これからの彼には、次に歩みはじめようとする意志が、必要になる。
この傍から見てるだけだと、とっても小さな この一歩が、すごくおおきな一歩になる。
さてさて、彼のはなしに、もどって・・ 社会人になりたての彼は、残業、残業の毎日、
休日も寝て過ごしてしまうだけの日々、ふと一瞬、居眠りをしてしまった。
がしゃーーーーん!
強く強打した右腕は、軽く骨折。骨はくっついていくし、怪我や、傷跡は薄れていくだろう。
「また、起こしてしまうんじゃないか?」 運転をためらってしまう。
この恐怖のあり方が、ココロの傷だと、人によって、さまざまになっているんだろう。
彼は、どうしてだか、その一歩を踏み出そうとする。
そして、その事故の瞬間に、自分を迎えに行ってみる。 その時の自分を、今の自分で、見てみる。原因をいっしょにさぐって、安全に運転するための方法を模索する。より具体的に、考えて行く。
そして、また、新たにハンドルを握るようになる。
さて、その一歩を踏み出す原動力となるものは、なんだろう。
なかなか、踏み出せない人にとっては、今は、感じようとできていないもの。同時に、表せてもいないものなのかもしれない。
素直に、そして、ゆっくりと、自分の中に、入ってくるものを信じてみるといい。
あたたかいものは、きっと、そこにあって、あなたのことを必要としてくれている。
信じて、すこしだけ手をのばしてみるといい・・。素直な感覚を思い出してみて・・。