冷え込みが、当たり前の夜になりつつあるこの頃、丁度良くあたたかいっていうのが、すごく大切です。足元からの冷え込みには、要注意ですよ♪
さてさて、ココロの内幹を鍛えるというタイトルで書き始めてますが、これが、なかなかなのは、やってく内に、分かってくると思いますが、自分と向き合って、それを受け入れる勇気が持てるか、そして「気づき」に到達できるかってことだと思います。それまでは、のんびり構えていくといいかもしれないですよ♪
それでは、例として ぬう自身のことを撮りあげてみたいと思います。
今、ぱっと思いを巡らせると、幼いぬうが、母に連れられて、知り合いの家を訪問している。
そこで、保育園にも、まだ、通っていない ぬうが、住所と名前を、言って褒められる。
周りからの称讃をあびている。
これは、記憶にはないものだけど、ここがぬうのはじまりであると「気づき」があった訳です。
原点を求めはじめた頃のぬうは、他人の頼みごとを断れない イエスマンになってたり、
周りの顔色ばかりを気にして、自分をまったくないがしろにしていた。
いい子を演じようとすることが、ヒトとの関わりの、より良い方法だと思い込んでいた。
そゆ人格形成を、行っていた訳です。
表面を気にするから、すこしの変化に過剰にココロは動いてしまう。
その反面、ほんとのココロは感じられないでいる。 ほとんど不感症です。
自分の関わりに向けられる。ほんとのものを感じようとしないんだから、当然です。
ほんとの自分に気づいた時は、愕然としたのを覚えてます。
「なにをやってたんだ 俺は・・」←こんな激しい落胆でした^^
音楽を聴くのも、アートを鑑賞するのも、他人の目を気にしてるから、自分のココロで感じるなんてことをしていない。 空っぽなんですよ。
そこから、自分との関わりを、本気ではじめた訳だけど、すばらしく満たされる日々がやってきました。
例えると、感じる世界に色がついて見えるようなものでした。
自分の原点は、きっと両親のどちらかとの関わりの中にあります。違いはあるかもしれないけれど、そう認識している存在との日々の中に・・。
良くも、悪くも それまでの自分を形つくってきたものはあります。
無知の知 を気づき として実感できるかが、原点を知る鍵になるのかもしれませんね。
原点を知ることで、成り立ちを受け止められれば、未来の自分に役立てることができると思います。