「赤い糸」ともすると、おとぎ話的なキーワードにも感じられる。この言葉が、
どうして・・まだ見たことがないヒトとヒトを繋ぐようなものがあるというのか??
ただの 空事なんだろうか・・。
ヒトは、その存在のはじまりは、未成熟なもの そんな不安定な、はじまりから、
一歩、また、一歩と歩む足跡は、今の自分を表すように、ひとつ、ひとつが今に繋がっている。
自分というものが、なんなのか? と考える前に、すでに自分は形作られている。
その歩みが自分 この先の一歩も・・触れながら 感じ 知っていくことを繰り返して、
その歩みは、先に向かう
真っ暗な中を歩いて道ができている。 その道は、どこかで交わり また、離れ、
また交わって並走する道に出会う。
こんなのが、「赤い糸」 決しておとぎ話の世界ではない。
ただ、その存在に出会ったものにしか、わからない道に違いない。
ヒトは、なぜか こんなに不器用なんだろう・・ 触れてみないと何も分からず、知ることもできない。感じたことのないものは分かろうすらできない。
ひとつ、ひとつの足跡は、それぞれの出会い 感じた証。
どれも大切な思いに違いない。
その証は、自分自身なんだろうと思う。 赤い糸を、すこしはっきり見えるようにするには、証を知ることなのかもしれない。
まずは、自分 を 本当の意味で大切にできないと だめだろう。
きっと糸は、見えないままだ。