犬とヒト 猫とヒト
本来、生活圏の違う 動物同士が、それこそ 容姿も感覚も いろんな違いがある 二種類の動物同士が、生活を同じくするってことは、本来、とても難しい事に違いない。
それを可能にしてきたものは、なんだろう。
こんなに近しくて、二種類の間が埋まるってことが奇跡に近い出会いなのかもしれない。
ヒトは、いろんな方法で、彼らと関わりを持ってきた。
猫は ねずみを捕り、犬は、家の警備に一役かってきた。
その頃の自然とうまく付き合えていたヒトは、どんな付き合い方を彼らとやっていたんだろう。
今は、どうだ??
相棒を亡くしてから、犬くんを、つい何日前まで、触れなくなっていた ぬうが、
ようやく、昨日のこと少しちっちゃめの マスチフ君に 触れることができた。
散歩帰りの、その飼い主とマスチフ君の姿は、無理に飼ってるって飼い主の象徴の様なもの。
綱をひっぱり、言うことを聞かそうとする。 デカイから手に負えないんだ。
でも、そのマスチフ君は、とても、かしこい、飼い主の顔色を一生懸命読もうとしている。
「山まで、散歩に行ってきたんですよ」 こんなことを言う割には、犬との言葉を知らなさ過ぎなんだ。
だから、マスチフ君は、何を怒られているのか、分からず 一生懸命に、分かろうとするが、なぜ耳を引っ張られるのか、分からない。
だから、待てができない。 できるのに、できない。
教えてもらっていないから、 行動を止める。 その場で止まる。 どんなのが 待てなのか、どんな合図で、それをしたらいいのか、マスチフ君と決めるんだ。
待ては、最初に共有するサイン。 危険を回避するためには、どうしても必要だから、
しっかり、見てやれ、大きな口をたたくなら・・。
会話の幅と質が広がれば、いろんな顔を見せてくれるのに・・。
そんな飼い主が、どうやったら、動物愛護を語れるのか・・・ちょっとムシズがはしった。
捨て猫、捨て犬 が、数多く処分されている。
そ奴は、一匹でも多く里親を探して、救おうとしているらしいが、自分が、いっぱいいっぱいで、目の前の子も見れなくなっているのに、そんな活動ができるのか、動物達の笑顔をいっぱい見せて、里親達にも、その命の大切さを共有していく活動をするべきだと思う。
この辺の動物愛護の活動は、チープで、なにも産まれない。
ただの独りよがりの活動に、ガッカリしてしまった。
少し知るだけで、飼い主とペットの距離は、そんなになくなる。
おもちゃにするか、どうかは、 そこの あなた次第だな・・・。