自分が、寂しいのが結局なところ嫌なのか?
応援してしまう、これは、心の根っこで何かを自分が叫んでいるようで、
若いころは、自分のことを犠牲にしてまで、応援したいと思い込んでいた。
この時は、そう、ただただ愛情に飢えていたのか、それとも・・・単純に、愛情の向け方と受け取り方を知らないでいただけなんでしょう。
今は、そうだな ちょっと違うスタンスで、時には、友、時には兄、時にはオヤジなんて風に応援したり、ネットでの自分は、少なからず、そんな感じで過ごしていることもある。
つまるところ 人って、思いたいんだな ってのが、今の自分かもしれない。
でも、自分を捨てた所には、ほんとにある愛情の根っこみたいなものが、見えることがある。
言い替えればぁ・・・愛情を向ける根幹の力みたいなものだろうか??
結局、人ってのは、その愛情を育み育てて、未来に希望と幸せを見たいと願っている。
ただ、今は、外れているだけなんだ。
勇気が持てないだけなんだ。
見ようとできないだけに違いない。
そう信じれるようには、なってきた。
みんな時代に流され、自分を見失って迷っている。
現在って、そゆことなのかもしれないなぁ・・・。