また、口唇ヘルペスができていた。
場所は、これまでと違う。

 

まるで「気づいて」と訴えるように、

身体が、痛みではなく、しかし確かに主張してきた。

 

 

先週のWi-Fi事件を引き金に、

唇に現れた小さな違和感。

 

夫と頻繁に連絡を取り合い始めた時。

ネットワークの環境が悪いことも、

それに対処することも大きなストレスだった。


一つ目の違和感がようやく治りかけた頃、
違う場所に、新たにできた二つ目。

簡単には終わらせないという強い主張だったと、

今になって気づく。

 

それも治りかけていた今朝、

さらに別な場所に今までより大きなものが。

三つ目。

それも特大だった。

 

思い当たる出来事はただ一つ。
夫が、赴任先から帰ってきたこと。

表立っては何もない。
衝突も、沈黙も、否定も。

 

なのに、身体だけが先に、過去の記憶と重ねてしまう。

 

穏やかでいようと心がけているだけ。

ピリついた空気ではない。


でも、身体は——ちゃんと、覚えていたらしい。

 

 

スピリチュアルの世界では、
「魂はまず違和感で教え、それを無視すると身体に出る」と言われる。

私はそれを、ただの綺麗事として片付けられない。
なぜなら、今回の症状も、あまりにも見事なタイミングだったから。

 

 

表向きの私は、穏やかであろうとする。

でも、奥の奥にいるもうひとりの私は、

これまでの記憶を手繰り寄せ、小さく警鐘を鳴らす。

その音は、小さくても全身に響く。

 

その瞬間、身体の守りは少し緩み、眠っていたウイルスが静かに目を覚ます。

つまり——

私が「もう平気」と思っていても、

奥の奥にいる私と、身体と、魂が、

「まだ不安定」と言っていた。

 

 

ストレスというのは、必ずしも「つらい」「苦しい」と感じたときだけに起こるものではない。

むしろ、「感じないようにしているとき」に、
脳はこっそりと緊急モードに入っていることがある。

 

 

「心のクセ」は、気づいた瞬間に終わるものじゃない。
それは、神経回路という習慣の回廊にまで、しっかりと刻まれている。

 

私はこの数年、かなりの自己理解と内省を積み重ねてきたつもりだった。
でも、それでもまだ、「反応」はゼロにならない。

これはきっと、「不完全な私が悪い」のではなくて、
魂がもっと奥深くまで、私に気づかせようとしているーー

 

「見て見ぬふりをしてきた関係性」や
「自分に課していた役割」から、
そろそろ降りてもいいんじゃない?と。

優しさという名の抑圧や、
平和という名の自己否定が、
まだ残ってるよと、身体がそっと教えてくれたのだ。

 

 

人と人との関係のなかで、
私はどこまで「自分であること」を許せているだろう?

 

優しさで包んでいるつもりが、
ただ我慢を言い換えているだけになっていないだろうか。

 

「理解されなくても平気」と思っているけど、
本当はずっと、わかってほしい私が奥に眠っていないだろうか。

 

魂はいつも、本来の私に戻るための道しるべを示している。
それは、恋愛でも、仕事でも、身体の不調でも、
どんなかたちでも現れる。

 


「人間は、在ることを問う存在」なのだとしたら

私にとって、
「在る」とは、「感じること」に他ならない。

痛み、違和感、ザワつき——
それらを無視してしまうと、私は私でなくなる。

だから私は、
「なぜ、今ここでこの症状なのか?」と、考えている。
 

それは、スピリチュアルでも、
心理学でも、脳科学でもなく、
「私という存在そのもの」への問い

 

——これは、ただのヘルペスではなかった。
私はどこかで、まだ本当の私を置き去りにしている。

見ないふりをしていた小さな違和感が、
やがて声を持ち、熱を持ち、
私の唇の端で、ひっそりと膨らんでいる。

 

その小さな膨らみは、私の無意識の形をしていた。

 

 

——「何が正しいか」よりも、「私は何を感じているか」に耳をすませる

ちゃんと感じよう。
本当の私が、今どんな顔をしているか——。