
心揺さぶられる人には、共通点がある。
八重山での出逢いの中でも
人生を冒険してきた人に
沢山出逢えました☆
島で生活しながら
世界(とくにヨーロッパ)で
活躍されている方と出逢った。
世界で活躍する人は視野が広い。
抽象度が高いと言いますか。
誰もが見ていない世界を「見て」いると思う。
グーグルアースで
宇宙から地球にどんどん近づいていくように
今の自分のいる場所も
その先に続く道の行方も
野性的な感覚で、間違いなく知っている人(だと思う)
そう。
この野性的な感覚で生きる人=冒険者
と、私は勝手に捉えている。
自分の感覚を信頼している人。
幸運にも、私はその方の前で
ライアーを弾く機会が与えられた。
ざわざわと賑わう場所で。
私は呼吸を整え、八重山の島や海にお祈りをし
数分ライアーを奏でた。
ライアーを奏でた後、
こんなことを話してくれた。
「その楽器の美しい音色はとても良く分かる。
でも今のままでは、その美しさだけになってしまう。
ライアーの美しさと君のオリジナリティを融合させて
世界に表現したらどうだろう。
もっと世界で場を踏みなさい。」
世界?(・∀・)デスカ?
非現実的のような反面
ぐわりと
現実的でリアルな世界にシフトした感覚。
目が覚めたというか、
目が覚めないでくれ、というか
DNAがONになるってこうゆうことなのだろうか?
はっと思い出す感じ。
ライアーで世界に表現するなんて
考えてもみなかった。
どっちが現実的?
どっちが非現実的?
そう。
どっちもリアルな世界なんだよね。
世界で活躍している人は
世界で生きる自分が「あたりまえ」で生きている。
それがリアリティ。
車を運転できる自分は「あたりまえ」と同じように
嫁であっても、母ちゃんであっても
世界を飛び回っている自分が
あたりまえの世界なら
そこが私にとってリアルな世界なのだ。
他人はリアルに思えなくても。
そして、この旅のあいだに何度も出逢った言葉。
「1000年後、未来の地球に何を残したいか?」
今日、明日、生活するためだけに生きているのではない。
ずっと未来の地球を意識して、今日を生きるということ。
「ライアーを奏でることで、地球に何を残したい?」
「ライアーで私のオリジナリティと共に世界に何を表現していくの?」
と、いう問いの中で、八重山の島々を巡っていた。
誰かに聞くわけでもない。
私は私の心に耳を澄ませる。
八重山に呼ばれた理由は
この問いを与えられ、向き合う時間だったのかも。
雨上がり、雲から差し込む太陽の光を浴びたとき
「戦争のない平和な地球。笑顔溢れる喜びの世界」
1000年、あるいはもっとずっと先の未来の地球に
意識がぶっ飛んで、戻ってきた。
そっか。
ひらめきのまま、行動してきた過去のことは
いまに、そして未来に繋がっているんだね。
インドのガンジー博物館に行ったことも
ラージガードでライアーを奏でたことも
平和祈念公園やガマに行ったことも。
イスラエルに行ってみたいという気持ちは
日に日に高まるけれど
実際に行くという行為は
やっぱり、私にとって冒険です。
生きて帰ってこれるんだろうか?とか。
究極の未知の世界。
それをやるのにふさわしいのが「いま」
その感覚がある日突然やってくると思う。
その「いま」に繋がる
今日という「いま」を冒険してゆこう♪

いのちいっぱい、輝こう
