「ドラゴンボールの魅力(「可視化」編)」 | ぬめんちょ君、かく語りき

ぬめんちょ君、かく語りき

辛辣は批評の精神です。そして批評は、進歩と啓蒙の根源なのです。


テーマ:




先日「ドラゴンボールの魅力(スカウター編)」という記事を書いたら、たった1人の読者のみから支持を得たので、また違った視点からドラゴンボールの魅力について考えてみたいと思います。前回に引き続き思ってもいないことをでっち上げて論じていますので、深く考えずに読んでいただければ幸いです。



    ◯    ◯    ◯    ◯



ドラゴンボールの魅力は「可視化」というキーワードと共に論じられるべきではないだろうか、というのが今回の僕の主張です。「可視化」とはどういうことか、以下に4つの例を挙げてみましょう。



【強さの数値化=戦闘力(スカウター)】

まずは、やはり「戦闘力」ですね!
強さという漠然としたものを数値化(すなわち「可視化」)するのは、たぶん人間の脳の生理と合っているんだと思います。だって、気持ち良すぎますもん!
ちょっと違うかもしれませんが、「界王拳」も強さを数値化している点では「戦闘力」と近い快感を与えてくれます(界王拳4倍とか、「4倍ってどういうことだよ?」って感じですけど、やっぱり脳が気持ち良くなっちゃう)。



【体内の気を外に解き放つかめはめ波】

目に見えないけれど、我々東洋人がその存在を心の片隅で信じている「気」を上手に可視化したのが「かめはめ波」です。
主な読者層である思春期の男の子ってのは力(あるいは性的衝動)に漲っていて、「かめはめ波」が放たれている様(さま)に自分の中の内なる力や衝動の発散を仮託しているのでしょうね(だから、「かめはめ波」は射精の象徴であると言うこともできます、……できるの!!)。

話は変わりますけど、誰しも小学生の頃に「かめはめ波」の練習をしたことと思います。しかし、実際に打てたと実感した人はいないでしょう。僕も「なんで打てねぇんだよ!」とヤキモキしてた口なんですが、ある時こう考えてはどうだろうか、と思いつきました。すなわち、「かめはめ波は出ている」と。ただ、目に見えるくらい強い「かめはめ波」を打てるだけのパワーが僕にないだけなんだ、と。悟空たちはとんでもなく強いから目に見えるほどの気功派を打てるけど、だからって僕が打てていないわけではないんだ。そう自分に信じ込ませていました。

これ、僕が小学生の頃に考えた理論(?)なんですけど、やっぱり昔から理屈っぽかったのでしょうか。。まぁそんなことどうでもいいですけど。



【サイヤ人は傷を負うほど強くなる】

「サイヤ人は深いダメージから回復すると戦闘力が飛躍的に上昇する」という設定も、ある意味では「可視化」の一種であると言えるのではないでしょうか。
「戦闘力」「現実世界での人間的成長」と置き換えると、非常に有効な人生訓になるのです。すなわち、傷つき、失敗を繰り返すことで人は成長する、と。
一口ではなかなか捉えがたい「人間的成長」というものに明瞭な道筋を与えたという意味において、このサイヤ人の身体機能的特質も「可視化」の好例だと言えるでしょう。


【揃えると願いが叶うドラゴンボール】

最後になりますが、「ドラゴンボール」自体も「可視化」の役割を果たしていると思うんですね。現実世界で自分の願いを叶えようとした時、起こすべきアクションは多岐に渡ります。それに、社会の趨勢という無数の変数を考慮に入れる必要もあるでしょう。しかし、ドラゴンボールの世界では、ただ「ドラゴンボール」を集めれば良いんです。この単純明快さは「可視化」と言い換えてもいいでしょう。

更には、「ドラゴンボールがあったら、自分だったら何を神龍にお願いするだろう?」と読者たちが自問することは必至ですから、そういう意味で「ドラゴンボール」は人々の潜在意識に宿った欲望「可視化」させているとも言えるかもしれません。

思いっきり関係ないですけど、我が故郷・小江戸川越には「七福神めぐり」という観光ツアーがあります。ホームページによると「全行程が約6kmとちょうど手頃なコース」とのことで、7つ集めると、じゃなかった、7ヶ所全て巡ると願いが叶うそうです。
フリーザもナメック星なんか行かないで川越来れば不老不死になれたのに。。



ふぅ、、、
今回はちょっと無理があったかな。。
でっち上げすぎちまったぜ (-。-;)


もし良かったら、こちらもどうぞ ⇒ 「ドラゴンボールの魅力(スカウター編)」


ぬめんちょさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス