賛成の反対の賛成なのだ | ぬめんちょ君、かく語りき

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一時期、「数学の道具立てによって世界を認識する」という考えに取り憑かれていた。どういうことか、具体的に例を挙げた方が分かりやすいかな。




例えば、村上春樹の小説にこんな一節がある。



「それはよかった」と僕は言った。僕が「それはよかった」という台詞を使うのは、他に何ひとつとして肯定的言語表現方法を思いつけず、しかも沈黙が不適当であるという危機的状況に限られている。
  村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』






これは完全に「場合わけ」の発想を援用している。
対人コミュニケーションは複雑ではっきりと輪郭を与えるのが難しい部門なのに、こういう発想を提示されるともっと簡単に把握してコントロールできるもののように思えてしまう。


また、村上春樹は他の作品でも数学的発想でコミュニケーションを単純化している。




渡辺昇は肯いて、一秒半くらい笑った。この次は三秒笑わせてやろうと僕は決心した。
村上春樹「ファミリー・アフェア」(短編集『パン屋再襲撃』所収)




目に見えないコミュニケーション上の細かな所作を定量化して把握する。
これも完全に数学からの発想だろう。



このように、「数学的把握によって混沌とした世界に秩序が与えられる」という例は実生活にも溢れていて、例えば、バドミントンコートを9分割して1から9までナンバリングしたりするのも好例だ。
漠然と空間を把握していたのを、細分化することでより明確に意識しやすくなる。
これは単に数字を使っているから数学の影響というわけではなくて、図形とか座標とか、そういう数学教育があるからこその発想に違いない。

このナンバリングコートを使って、「1から9に移動するフットワーク」をやった後に「はい、次は逆に3から7!!」とか指示するんだけど、これが「逆」だとすんなり認識されるのも、何らかの形で数学がかんでいるんじゃないか?

そもそも「」という考え方も数学があるからこそ把握しやすくなっている気がする。


以前、カレーの甘口、辛口、激辛、、、についての記事を書いたけど、この辛さも「数直線」を頭の中に描いて認識しているんだと思う。この数直線があるからこそ、カレーという部門においては「甘いの反対は辛い」と認識できるのだろう。


この世の中には数学なしじゃ認識できない物事がたくさんあるってことだ。


今の「数学なしじゃ認識できない」という文章だって二重の否定になっているから、どこかしらで「マイナスかけるマイナスはプラス」という算法上の基本原則を引っ張り出して理解したに違いない。

「数学なしで~」くらいの単純な文章ならそこまで意識しないかもしれないけど、例えば、2011年11月2日の朝日新聞の朝刊13面のこの記事は「数学なしじゃ理解できない」だろう。



「(拠出凍結の)完全実施を食い止める努力をやめるべきだ」


「拠出」を主語と置いたとき、「凍結」、「食い止める」、「やめるべき」はそれぞれ「マイナス」だから、結局「拠出」を否定している。つまり、拠出はやめろ!と主張しているわけだ。



   ◯    ◯    ◯    ◯    ◯



好き」も「嫌い」も「」も「憎しみ」もそれぞれ個々独立の感情なのに、対になって論じられるのも数直線的把握をしているからだろう。でも、これらの感情が分ちがたく併存している心的状態は実際あるのだ。


でも、君はそれを理解してくれない。
僕は、君なしじゃ生きられないのに、、、





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