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2005年02月26日(土) 02時55分10秒

窃盗告白女性タレントのバッシングは不寛容な社会の現れか?

テーマ:ネット
犬にかぶらせろ!経由で、pele-meleというブログの、法の完全実行というエントリを読んで考えたこと。

pele-meleでは


isedの議事録で、法の完全実行がいつの間にかキーワードになっていた。
いまの社会は「ちょっとした悪事」に対して不寛容になりつつある。歌詞を盗作した歌手や子供のころの万引きを告白したタレントに対する激しいハラスメント*1が、それを象徴しているだろう。上記キーワードの説明文にもあるように、インターネットの普及がこの動きを加速させている。


と書いているんだけど、不寛容というのは違うんじゃないだろうか、と書こうと思ってたらすでにusing_pleasure氏が書いていた。


それは「法」の領域で語られる事柄というよりは、むしろたんに道徳をめぐる一致・不一致の問題なんじゃないだろうか、と思う。

非常に複雑に分業化した現代社会においては、それぞれの社会集団はそれぞれの対内道徳を持っているものと考えられ、たとえば芸能界なら芸能界として<閉じた>道徳が存在する、ということは考えられる。そして、現在生じている「祭り」とは、そうした芸能界の対内道徳に対する別の集団の対内道徳からの批判、ないしは非難なのではないかなぁ。


全体的に同意で、引用の後段部分は前に僕がこの無駄に長いエントリで言いたかったことをさらっと説明してくれている。

で、おおむねusing_pleasure氏の指摘が的を得ていると思うのだけれど、若干の齟齬みたいな感覚が僕の中にはあって、法は基本的には無力であるにしても、もはや共通規範として掲げることの難しくなった道徳よりはやはり権威を持っていて、道徳的な憤りを堂々とぶつけるための大義名分として法が語られているという側面があるのではないだろうか。

あびる優の件で言えば、多くの人は、あびる優が集団でダンボールごと盗み出すという行為をテレビ番組上で笑いの種としてさしたる反省も見せずに告白するという態度に道徳的な憤りを覚え、それを批判するための権威として、機能不全と感じている道徳ではなく、法を持ち出しているのだと思う。
(ちなみに僕自身はあびる優の件については前に書いた通りで、あびる優個人よりテレビ局に問題があるんじゃないの?という考え。関心の方向としては、ビックカメラのサービス残業摘発事件なんかと同じ側を向いている)

using_pleasure氏の言う「「道徳」の機能不全に対する苛立ちの現れなのではないだろうか」というのはやはり僕も同意なのだが、これは道徳に限らず全体的な共通規範が失われている(と感じている)ことに対する苛立ちなのだと思う。だから、ときには「道徳」とはちょっと遠いところにもその苛立ちはぶつけられる。

例えば、さっき僕は「的を得ている」と書いたが、それを読んで「的は得るじゃなくて射るだろ」と感じた人はいないだろうか。この手の日本語の「誤用」の指摘は常に「正しい日本語」という伝統的権威を持ち出すことで行われるが、(単なる揚げ足取りでしかないこともあるとは言え)やはり共通規範の喪失感から来る苛立ちが遠因なのではないのだろうかと感じる。だから大半の人は本当に「正しい日本語」を守ろうなどとは考えておらず、正確な語源まで調べていることは少ない。実際、「的を得る」は実は間違いではなかったりする(参考リンク)。あくまで大義名分は大義名分でしかなく、法にしろ伝統にしろ、御旗として掲げられたとしても、それを厳密に実行しようなどという人はほとんどいないのではないだろうか。

さて、果たしてこうした共通規範の喪失感がどこに向かうかという話になると、ised@glocomの倫理研の人たちですら結論を出せないのに、僕ごときに結論を出せるわけはないのだが、少なくともそこまで悲観的になる必要はないと思っている。using_pleasure氏の言うように、有名人などは道徳的な憤りをぶつけられるリスクはあるだろうが、それにしたって現実に影響力を持つのはよほどの場合だけだ。オレンジレンジにしてもクレジットをこっそり変えたくらいでしかない。

昔はマスメディアがすくい取っていた人々の苛立ちが、機能不全を起こしつつあるマスメディアからではなく、インターネットから発信されることが増えた、ただそれくらいの違いでしかないし、個々の事象に対して単発で大勢の人が反応したからと言って、それで世の中を変えたとか、変えてやるとか大それたことを考えている人も僕の見る限りではほとんどいない。良くも悪くも世の中こんなもんで、なるようにしかならないという現実を受け入れた上で日常生活を送れば、たとえ苛立ちが消えることはないにしろ、少なくともその苛立ちに潰されることなく生き延びていけるのではないか、僕はそう思う。

<2005 3/1 23:00 追記>
using_pleasure氏からお返事にあたるトラックバックをいただきました。


道徳的期待を法に見出す人々は、基本的に法によって「裏切られる」立場にあり、法に道徳的判断を期待してしまう、ということそのものがこの「裏切られた」という感覚を可能にするのだった。


なるほど納得です。丁寧な説明、ありがとうございます。

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2005年02月24日(木) 00時31分04秒

原体験こそオタク歴史認識の源流

テーマ:オタク/サブカル
ARTIFACT@ハテナ系のこのエントリ をきっかけにオタクの歴史認識とか世代断絶の話が軽く盛り上がっているのですが、オタクというかサブカルチャー全般においての歴史認識や世代断絶について自分なりに思うことを書いてみようかなと。

まず、素朴な感想として、上からものを見るような態度で「○○語るんだったら××踏まえてないとだめでしょ」みたいなこと言われたらそりゃもう激しく嫌悪感覚えるわなあってところ。こういう言い方をするとき、その人の提示する見方は「正しいもの」として相手に迫ってくるから、当然うっとうしいことこの上ない。しかも歴史認識として権威付けまでされていれば、それはもう抑圧装置としてしか機能しないと思います。その見方を受け取る側が権威に自ずから従おうとするならば別だけど。
(洋楽ロックオタク、通称洋オタ方面ではこの権威の力が相当強い。これはロックという音楽がカウンターカルチャーとして、その当時の社会との関わり合いを持ちながら発展してきたという性質が大きく影響しているのだと思う)

まあ、自分個人で言えば、自分の好きな作品の歴史的経緯やルーツを遡行的に知っていくことはとても好きなんだけれど、それが楽しいのはあくまで遡行的に進む場合だけであって、「これとこれとこれを踏まえた上ではいこれ」という風に順を追って進むのはとてもつまらなく感じるというのがあります。

なんでだろうと今考えてみたのですが、それがどんな種類のものであれサブカルチャーにはまる理由ってのは、原体験となるとても面白い作品に出会うことが最大の理由であって、そこがその人にとってのファーストインパクトとしての出発点になるので、たとえ歴史認識を深めたいと思ったとしてもその広げ方はどうやっても人それぞれ違うものにならざるを得ないのではないかと思います。遡行する楽しさというのも出発点となる作品が面白いからこそ生まれるものであって、別にそこまで面白いと感じない作品からはわざわざ遡行する気も起きないですしね。

まあ、一つ確信を持って言えるのはサブカルチャーの歴史認識なんぞを布教したがる人ってのはまず間違いなく先鋭化したマイノリティな存在なので、マクロに見たら商業的発展には貢献せず、せいぜいのところが権威主義に弱い人たちを従えるニッチな村を作るのが関の山なんじゃないでしょうか。

更科さんはそうした人たちの影響力を憂慮しているけど 、各個人が自分の原体験に従って興味の幅を広げていく限り市場はそれに従って動いていくだろうし、そもそも自分のオタク的趣味に権威的価値を求めるという態度が前時代的に思えるので、結局のところなるようにしかならないのではないかなあと。別にそういった権威主義的なオタク学自体は否定しないけれど、僕はそれよりも自分の興味のコードに沿ったフラットな情報のほうがよっぽど欲しいです。例えば「影響を受けたマンガ家は○○です」とマンガ家自身が語るような情報をね。
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2005年02月22日(火) 23時59分59秒

2月22日は猫の日だったらしい

テーマ:雑記
諸君 私はねこが好きだ
諸君 私はねこが好きだ
諸君 私はねこが大好きだ
(以下略)


2月22日は猫の日らしいので我が家の猫の画像をアップしてみました。
全然似てないですが約1歳になる姉妹の猫です。

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2005年02月20日(日) 07時02分51秒

とある人たちの記憶

テーマ:雑記
★けむりんBLOG★のこのエントリを読んで思い出したことをいくつか。


もう7年も前だろうか。友達が就職して四ヶ月にして仕事を自主的に辞めることになった。その友達の就職先は、今となっては名前も資本も当時と異なるとある都市銀行だった。

荷物を運ぶ手伝いのために、友達の入っていた社員寮へ一緒に行くこととなった。東急東横線で渋谷から20分ほどで駅を降り、いかにも私鉄沿線らしいひなびた商店街を抜けた先にその社員寮はあった。

日差しの強い初夏の土曜日の午後で、みな遊びに出ているのか社員寮の中はがらんとしていた。すでにほとんどまとまっていた荷物をそそくさと持ち出し、競馬を見ようということで食堂に向かう途中の廊下で、友達は壁に張り出してあった紙を指さした。

それは、寮に入っていた一人の行員の訃報で、死因は心不全とだけ書かれていた。心不全に至った理由は言うまでもなく、自殺だった。「俺もこのまま勤めていたらそうなっていたよ」と友達は吐き捨てるようにつぶやいた。訃報の主は彼と同期で関西から出てきた人間だった。交流はほとんどなかったという。なぜ彼が自ら死を選んだのか、外部にいた俺には分かるべくもないが、友達は人ごとならぬものを抱いていたようだ。

実際友達はすでにノイローゼ気味で、大学時代にバイトで貯めた100万以上の貯金を大幅に切り崩してまで週に何回も風俗に通い詰めていた。人気のないがらんとした食堂のテレビで競馬を見ながら「風俗がなかったら死んでた!」と彼は面白おかしく話した。

果たしてどのような職場環境だったのかは彼が多くを語らなかったために分からなかったが、就職内定後には社員が逃げ出すほど忙しいイベント派遣会社で週6日もバイトをしていた彼のことだから、肉体的にではなく精神的につらかったことは容易に想像できる。

銀行をやめてもしばらくの間は後遺症のように苦しんでいたが、その後いくつかの仕事を経て今ではCCNPの資格を持つ優秀なネットワーク技術者として家で無駄にLANを組んだりと元気に過ごしている。



次の話は4年前のこと。当時俺は2ちゃんねるのラウンジという板でいつも遊んでいたのだが、そこにいた一人の引きこもりの中学生の話。当時のラウンジを知っている人は思い当たる名前もあるかもしれないが、一応ここではその名前を伏せる。

元々、彼とは活動しているスレッドが全く重ならないということもあって、直接絡んだことはなかった。ただ、彼が引きこもりらしいということと、よく名無しと煽り合いをしていることくらいは知っていた。

彼と話をしたのはメッセンジャー上のことで、先に彼と話していた女友達に呼ばれて一緒に話をした。

彼の話は断続的にあちらこちらへと飛び、音楽の話をしたかと思えば人に会うのが怖いとおびえるように言い出し、かと思えばオナニーがしたいといきなりなことを言い、さらには顔に自信がないと言って写真を見せたりした。けれど、ふざけているわけではなくそれが全て彼なりの大事なことであり、不慣れでとてもぎこちなくはあっても懸命にコミュニケーションを取ろうとする姿だったのは確かだ。

写真で見る彼の姿は、少なくとも同年齢時のただのゲーヲタ兼野球部だった俺なんかよりよっぽど洗練されたルックスで、コンプレックスを抱えるような顔には見えなかったが、もちろんそんな比較は彼にとって何のなぐさめにもならないのはわかっていた。下を見てなぐさめにするということは上を見たとたんに劣等感を思い知るだけでしかないのだから。

ログを残していなかったので俺がどんな言葉をかけたのかは思い出せないが、ただ、自分自身に誠実であるためにも、ありきたりな他人事でない言葉を、自分の言葉で、できるだけ慎重に振り絞るように答えたその感触だけは今も体に残っている。

彼と話している途中から、女友達は泣いていた。それは、彼のつらさに感応したのと、話を聞いてあげる以外にどうしようもない無力感とが入り交じった涙だと思った。無責任でないこそ言えるが、彼とはネットを通した上でかすかに接触しただけの他人の関係であり、話を聞いて何かを答える以外の力は俺にも彼女にもなかった。

その後しばらくして彼はネット上からいなくなった。自殺したという噂が流れたが、事実だとしても確かめるすべはなかったし、ネットから離れて学校へもう一度通う道を選んだのか、あるいはどこかに通うようになったのかもしれない。ただ、もしも彼が今も生きているのならば、たとえ彼にとって今の世界がどんなに薄汚れたひどい世界であろうとも、生きているという事実だけで心から嬉しく思う。


先にリンクを貼ったエントリで

どんな価値観にも外側が存在し、そして命ある限り、全ての人は窓の外にでるチャンスを有する。本人が思っている以上にその脱出はあっけないものだ。過去がそうであったように、人間は未来の全てをどのようにも選択できる。会社を辞めること、日本を離れること、それらは意外なほどにあっけなく、その瞬間に200%悪夢は醒める。そしてそれらは、少なくとも日本人である限り、誰にでも選択可能だ。

とけむりん氏が書いてあるが、本当にその通りだと思う。飛行機が離陸する瞬間のように、あるいは自転車に乗れるようになった瞬間のように、窓の外へ出た瞬間に悪夢は終わり、コンビニの店員すら今までと違って見えてきたりする。けれどそれは、抜け出して初めて実感できることであって、その中に囚われている人にとっては抜け出せないからこそ悪夢なのだけれど。
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2005年02月19日(土) 05時19分24秒

あびる優の例のアレに関する日テレ起死回生の策を考えてみた

テーマ:ニュース
新聞・スポーツ紙等では女性タレント(18)と名前を伏せて報じられている例の集団窃盗(or強盗?)告白の件ですが、ネット上ですごい勢いで騒ぎになっているようで。
読売新聞 日テレ深夜番組、女性タレントの万引きをクイズ題材に
毎日新聞 <日テレ>女性タレントの窃盗 クイズの題材で謝罪
(関係ないけど、毎日新聞の<日テレ>の表記が笑える。「また日テレか」みたいで。)

まあ、どうせテレビ局や芸能界のことだから、謝罪して終わりで本人がテレビから姿を消して人の噂も七十五日となることは予想がつくわけですが、被害を受けていたお店の店主が週刊誌あたりによって見つけられたりしたらいよいよ警察も動く事態になるかもしれませんね。

ただ、これってあびる優自体もさることながら、そんな番組をなぜ作ってしまったのか、台本の打ち合わせを具体的に行ったスタッフや、それをチェックする立場の人間の問題も大きいですね。日テレは調査を行うとコメントしていますが、末端の制作会社が切られて終わるだけという結果にはならないで欲しいものです。


で、不謹慎ながら日テレがこの不祥事を逆に生かす手段を考えてみました。今回の番組が放送される経緯をドキュメント形式でつまびらかにし、あびる優自身が窃盗を行った店の経営者に謝罪し、番組制作費は全てその経営者にお詫びとして寄付する番組を作るというのはどうしょう。3時間番組くらいでゴールデンタイムに放送すれば、ワールドカップサッカー日本代表戦なみの視聴率も狙えるかもしれません。あびる優と両親が涙ながらに店主に低頭してお詫びするシーンには瞬間最大視聴率50%越えなんて可能性も。

個人的にはあびる優は知らないからどうでもいいんですが、昨今不祥事続きの日テレにはこれくらいのことをやって欲しいものです。ていうか、視聴率操作問題といい今回の事件といい、個人の問題ではなく組織になんらかの原因があると思うんですけどね。まあ、テレビ番組の制作システムの問題に本気で切り込もうとするとどっかの巨大代理店あたりにも累が及ぶ可能性が十分にあるので他のメディアも踏み込んで追及しないのだろうと推測しますが。何というか、日本中のあちこちできしんでいるシステムの綻びを象徴している気がします。さて、どこまで覆い隠せるのやら。
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