貴重な経験なのかも?? ≪内膳堀≫ | 沼津でいこう。ameblo版

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昨年の夏休み『香貫山』を登った時にもチラっと写っているのですが、
『狩野川』に掛かった『黒瀬橋』の南側に『内膳堀通り』ってー道があります。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/numazukitaguchi/14491319.html

いかにもって名前なので「昔の偉い人かな~??」程度に思っていたのですが、
この通りの名称は『植田内膳』という人の名前からとられています。

=内膳掘======================================================================================

近世に入り新田開発が進むにつれ、灌漑施設についてもしだいに関心が高まってきた。
当時香貫一帯では相変わらず香貫山の水を貯水池に溜めて、これを用水とする水利設備しか持たなかった。
香貫に住んだ内膳は、水位のあまり高くない狩野川の流水を、今の通称大滝の土手で石をもって
三日月形の堰を構築し、その部分の水位を高め香貫山麓を巡って一条の水路を開削し、
苦心惨憺の結果引水に成功した。これがため内膳は家産を傾け、生命の危険に瀕したこともしばしばであった。
後世この堀を内膳堀、または泣き堀というのは、その間の消息を物語るものであろう。


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んで、この『内膳堀』に纏わる場所は数箇所あって、
『香貫山』を登った時にも見た『香陵台』の『頌徳碑』って石碑や、
『植田内膳』のお墓がある『霊山寺』ってーのが有名どころなのですが、
今回、北口は別のそれとは別の2箇所に行って参りました~。



■中瀬町の取入口に建てられた内膳堀跡の石碑■

ここは沼津市と清水町との境『狩野川』に掛かった『香貫大橋』のたもとにあります。

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『香貫大橋』を渡らずに、左にそれた場所にひっそりと置かれています。
意外と大きい石碑なのですが、遠くから見るとただ丸っこい石に見えます。

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んでも、傍に寄って見ると、石の前面に『内膳掘跡』とキレイに彫られているのでした。

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■内膳掘■

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その名の通り??『内膳堀』そのものです!!
先の『取入口』からは暗渠になっているのか、埋め立てられのか定かではありませんが、
『香貫大橋』を西に向かい『内膳堀通り』をちょっとそれたところにそれはあるのです。

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この部分はキレイに石積みされており、単なる川ではないと主張をしているようですが、
かなり徹底されていて『内膳掘』に沿って建つ住宅の橋まで同じ石積みでコーディネイト。<??

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んで「スゴイな~」などと言いながらも、この場所で北口が一番心に残った物とは・・・。



■手漕ぎポンプ■<?!?!

ん~、何故だか『内膳堀』の端っこにコイツは立っていたのです。

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つーか、これまで存在は知っていたし、見たことくらいはあるのですが、
実際に自分で手漕いだ(?)事は無かったんですよね~。

そんな分けで、この度、沼津北口の『手漕ぎポンプ』初体験です!!

「ジャ~~~~ッ!!」

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「ジャ、ジャ~~~~ッ!!」

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惜しむらくは、せっかく手漕いではみたものの「飲めません」と書いてあるし、
くみ上げた水は、足元の『内膳堀』にただただ垂れ流されるのみ・・・・。

たぶんきっと、北口みたいな感性の人の為に、用意してくれているんでしょうね~(汗&汗&汗)

     
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実際、この『内膳掘』は、
『SUN SUN JAZZ』を見た『沼津市民文化センター』の裏や、
『内膳堀通り』を南に進んだ先あたりまで続いていそうなのですが、
当初の目的が灌漑な為、あたりそこらに張り巡らされているようで、正直全てを見るのは無理でした(汗)

んでも『植田内膳』さんの多大なる労力の、ほんの一部でも感じる事ができました。
是非、皆さんもお近くに起こしの際には、是非『内膳堀』にお立ち寄りくださいね~!!