【み】源義光(みなもとのよしみつ) ;近江旅路⑪ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

源義光・・・

平安時代後期の武将。

河内源氏の2代目棟梁である源頼義の三男。

甲斐源氏初代当主。

近江国の新羅明神で元服したため、新羅三郎と称した。

後三年の役に際し、兄 義家の苦戦を聞き、官を辞して救援におもむき、武功をあげた。

(石ノ森章太郎『マンガ日本の歴史』より新羅三郎義光と八幡太郎義家)

 

 

 

 

 

4月18日(土)~21日(月)、滋賀県に旅行に行ってきました。

 

二日目・・・

弘文天皇陵をご参拝した後・・・

そこから遠くないところに新羅善神堂というお社があることが分かりましたので、そちらへ向かうことにしました。

 

 

なお、手持ちの歴史ガイドブックの掲載地図では位置関係がよく分からず・・・

Google Map を使って、行ってみることにしましたが・・・

Google Map が示すルートは、ミスリード・・・

 

 

Google Map は天皇陵の参道なんか認識してないし・・・お社の参道も認識してないですから・・・

私も現地の地形や距離感も分からず、何となくの感覚で歩いた結果・・・

迷いに迷って、新羅善神堂に到着しました。

 

 

新羅善神堂・・・

三井寺(園城寺)鎮守社の一つです。

明治時代の神仏分離により新羅善神堂という名称になったそうですが、もとは新羅社新羅明神社と呼んでいたようです。

 

園城寺については、のちほど記事にしますが・・・

園城寺の中で、最古の木造建築がこちらに当たり、足利尊氏が貞和3年(1347年)に再建したものになるそうです。

 

 

源頼義が前九年の役の出陣にあたり、新羅明神に戦勝を祈り・・・

頼義の三男 義光が社前で元服し、新羅三郎と名乗ったこともあり・・・

源氏から崇拝を受けたようです。

 

 

 

ちなみに、弘文天皇陵のすぐ西側にあった鳥居から行けば、時間をかけずに新羅善神堂に着いたようです・・・

・・・(´・ω・`)

 

 

そのことを知り、帰りは弘文天皇陵近くの鳥居に向かったところ・・・

途中で「新羅三郎義光の墓」を示す看板を見つけたので、それに従って進んでみたのですが・・・

草ボーボーの悪路で、どこまで道が延びているのか不明・・・

 

ここでも Google Map でルートを調べたのですが・・・

これまた、掲示看板とは違うルートを示される始末・・・

 

 

歩いているところも、草ボーボーで樹々が生い茂っており・・・

最近のクマ被害のことも頭によぎったので、新羅三郎義光のお墓参りは断念しました。

 

・・・(´・ω・`)

 

 

 

 

 

<ご参考>