近江大津宮・・・
天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。
天智天皇6年(667年)に飛鳥から近江に遷都した天智天皇はこの宮で正式に即位。
近江令の制定や庚午年籍の作成など律令制国家の確立に努めた。
天皇崩御後に朝廷の指導者となった大友皇子(天智天皇の皇子)が壬申の乱で大海人皇子(天智天皇の弟、天武天皇)に敗れ、5年余りで廃都となった。
(手塚治虫『火の鳥』太陽編より、大津宮の天智天皇と大海人皇子)
4月18日(土)~21日(月)、滋賀県に旅行に行ってきました。
二日目・・・
膳所の義仲寺の後に京阪電車にて、近江神宮前駅へ・・・。
お目当ては、近江神宮(昭和15年創建の神社)ではなく・・・
近江大津宮跡・・・
今から1360年くらい前にあった都の跡地を見に行った次第です。
と言っても、現在は住宅地になっており・・・
その合間 合間に、遺構が見つかったことを示す看板などが表示されているくらいで・・・
当時の建物が再現されてたりはしません。
なお、発掘で発見されたこれらの遺構は「近江大津宮錦織遺跡」として国史跡に指定されています。
(Google Map より ; 近江大津宮錦織遺跡が散在していることを示したもの)
まずは、駅のすぐに西のところ・・・
「史跡 近江大津宮錦織遺跡 第4地点」の小さな標柱がありました。
この第4地点からは3基の柱跡がみつかっているようで、それは南北のびる塀の一角だったようです。
第4地点の西南西に当たる敷地・・・看板や標柱によると第8地点。
看板の説明によると、まだ発掘はされてないようです。
ただ位置関係から内裏南門の一部があると考えられているようです。
現在 この第8地点の西側に南北に走る道路がありますが、それが大津宮の南北中軸線と一致しているようです。
第8地点の北側、そして第4地点の西に当たる位置・・・
こちらが第1地点。
内裏の東南隅にあたる場所と考えられているようです。
上の画像に2つの説明板が見えますが、奥の説明板の左側に見えるいくつもの柱跡(小さな丸太様の置物)が南北に延びる塀の一部と考えられ・・・
、奥の説明板の右側に見える柱跡(遠いので一つしか見えませんが・・・)が、内裏入口から東へ延びる回廊跡と考えられているようです。
第1地点の北側の第2地点。
内裏正殿のあった場所と考えられ、大津宮の中心的位置と推定されているようです。
第2地点からは10基の柱跡が見つかっており、建物の南東に当たると考えられているようです。
なお、現在の道路を挟んで向かい側に第7地点と第9地点がありますが、建物はそこまで広がっていたと考えられているようです。
第7地点・・・上記のように内裏正殿があったと思われる場所。
第9地点・・・上記のように内裏正殿があったと思われる場所。
最後に第3地点。
第7地点や第9地点から南方面にあります。
ここにも東西に延びる柱跡が見つかっており、塀跡と考えらrているようです。
なお、位置関係でいきますと、こんな感じになるようです。
見ての通り、空き地のようなところに、説明板と・・・柱跡を示す丸太のようなものしかないので、たいして面白いものでもないですが・・・
どのような規模の建物があったのか・・・想像しながら、自分の足で歩くと、なかなかなものだと思います。













