「見応えあったー」と

「見学ギャラリー」の建屋の外に出てから気づきましたが、
道の向かいも「東北砕石工場跡」だったのでした。


(「工場」は思ったよりずっと広かったのです。)

↓工場のすぐ脇を走るJRの「大船度(オオフナト)線」。


(ここは国鉄の線路の開通に合わせて開業した工場、なんですね?)
↓振り返ると踏切。/踏切の向こうに見えているのは宮城石灰工業㈱さんの石灰採掘場。(ベンチカット法という 段々~に削り出す方法で山から石を採っています
。)


↓このエリアには現在 他にも色んな会社の採掘場やセメント工場があります。

(↑左の「旧東北砕石工場」のすぐ上に見える「東亜産業㈱岩タン工場」は、東北砕石工場の後継の会社。尚「岩タン」は「岩手県 炭酸カルシウム」の略。)
↓改めて「石と賢治のミュージアム」の案内板を見る。


↑青く塗られている所が みんな「ミュージアム」なんだ!(事務所のある「太陽と風の家」では 施設の人から 「見学は できたら1時間位~」と言われましたが、これは 確かに、全部見てたらそれくらいかかりますね。)
↓「工場の外観とその成り立ち」を写します。

↑「石灰の山と一体になった工場
駅に近く、石灰の山を背にする現在地は、当時の石灰工場にとって最適な場所でした。工場は山の傾斜を利用して立てられ、採掘から粉砕、積出しまでの行程がスムーズに流れるよう工夫されています。
長い歳月を積み重ねた工場の外観
いつの時代にも工場の経営はきびしく、一度に設備や工場を新しくすることはできませんでした。今の建物の外観は、工場が苦節の中で、継ぎたし継ぎたしつくられてきた歴史を物語っています。」(なるほどー)
横木の柵の内側に展示(残されて?)されていたのは サイロのジョウゴ部(ホッパー)でした。



(ここで「パッカー」によって袋詰めされて ベルトコンベアで運ばれた~ みたい。)
今は枕木に似た板が渡されているこのデッキ調の道も 元々は製品を駅へ送るための線路 だったのでしょう。



↑屋根が終わるところに 復元されたらしいレールが敷かれていました。
(元は複線だった、のかな?)

↓おや、このトロッコは 実際に押す事ができますよ?(手前に足台がついているという事は 乗る事もできる???)

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さて、ここで「工場跡」を見学した話は以上になるのですが、
先にミュージアムへ行っております。
順序はアベコベですが、続けて ミュージアムで見せてもらったあれこれの絵 を貼っていきますね?
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↑ここが「石と賢治のミュージアム」の受付+展示スペース+ホール+図書館が入る「太陽と風の家」になります。
↓入口は(意外にも)線路側でした。(柵の向こうの線路はJR大船渡線。/ 手前の横木の道(トロッコ道)を北へ歩くと「工場跡」に出ます。)

↓入口上に「太陽と風の家」と書かれた板。

館内でチケットを求めると、


まず施設の方から「お時間 どれぐらいおありです?」と尋ねられ、


(↑館内、撮影OKでした。)
「えー猊鼻渓の2時の舟に乗りたいので 20分位しかー」と答えたところ 「あまりない・・・みたいですね。では まず 光る石 をご覧ください。」と_
↓光を蓄える性質を持つため 暗くすると光る蓄光石、ブラックライト(紫外線)で色が変わる石、 などを見せてくれました。



その後、「ホールに展示されている段ボールアートも 力作揃いなので 是非見て行って下さいねー。」と言われたので ホールへ。

↓廊下の壁側に置かれていたのは この地方の祭りで披露される鹿子躍(シシオドリ)の衣装。


(↑背中に背負う丈高い紙の飾りは「ササラ」と言うそうな。)
↓ここがホール。

↓あ、段ボールアート というのはコレですね?

なるほど!な力作達。


和みました^^)
↓この部屋では『グスコーブドリの伝記』が、子供向けに紹介されていました。



↓こちらは大人向けの解説コーナー。

↑賢治は高等農林学校時代に 教授から 東北の冷害の原因が 「海温の変化とヤマセ」である事、 酸性の土壌を改良するためには「炭酸石灰」が必要だという事、を教わっていたんですねー。

↑中の段左に 外に展示されていた「等身大」の賢治+東蔵と工夫達の像の元になった写真。

↑昭和6年2月から技師として働き始めるも、その年の9月に宣伝販売のため東京へ出張した賢治は そこで健康を害し、ようようの事で花巻に戻っています_。
(中程の茶色い紙に書かれているのは 賢治が死を覚悟して東京の旅館で書いた 両親宛ての遺書。)
『雨ニモマケズ』が書かれるのはその二か月後。そしてそのまま彼の健康状態は回復せず二年後に亡くなるんですね・・・。
↓「岩手の岩石」のコーナー。

(賢治は「石っこ賢さん」とあだなされた程 子供の頃から石が好きだったそうなー。)
↓賢治の年表。

↑「東北砕石工場」を知り 働き始めた頃、 農民の生活向上を願い そのために自分を犠牲にする『グスコーブドリの伝記』(←大正15年頃から書き始められ 昭和7年出版された童話)が出ている事に は っとさせられますね?
「石と賢治のミュージアム」、
今回は時間がなく かけあし見学になってしまいましたが_
いつか改めて訪ねたい場所、です。/ おしまい。