ではいよいよ、岩村城 本丸へ。
↑敵を迎え討つ事になる大石垣に「帯曲輪」という細長い曲輪が付けられているので まるで階段ピラミッドのように見えますー。 (尚 帯曲輪というのは「守備力を上げるため」に付けられる~ そうなのだけど なんとなく「石垣上り易くして・・・」るように見えてしまいます・・・ いや違う、この上に鉄砲狭間を持つ壁が何段もあった、のか^^;)
↓ここが上り口。
上がった先は 桜が咲き 何羽もの鶯が競うように鳴く 仙人の隠れ里? のような場所でした~。
↑ここは「長局埋門(ナガツボネ ウズミモン)」、だそう↓。
↓上がって来た石段を見下ろしてます。
(↑この項の1~3枚目の「段々」を上から見たところ_)
もう一段、上がります。
到着ー。/ ここが本丸曲輪。
↑「本丸
本丸には納戸櫓など二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣上に構えられていた。東と北には一段低い位置に長局と呼ばれる細長い曲輪が付属する。正門は東曲輪側の東口門である。内部には施設はなく、広場となっていた。」(そうか 天守閣は無かった、んですね? ってここは山城だから不要、か)
西の際へ行ってみると、斜面の下に「出丸」が見えました。(出丸は駐車場+トイレになっていました。)
岩村の町も見えました。(正面が駅のようです)
ちょっと話はそれますが、この本丸西の斜面にはー
猩々袴(ショウジョウバカマ)が沢山咲いていました。
本丸の南に 鬼太郎の家、のような物がありました。
根方に「霧ヶ城史跡案内」という札が置かれておりー
100円入れると お城の説明が聞ける ようになっていました。
(民謡調のBGMつきでした)
近くにあった説明板。
↑「岐阜県指定史跡 岩村城跡
岩村城は別名を霧ヶ城といい、天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、標高717mに位置し、江戸諸藩の府城(国府の城)の中で最も高所にあり日本三大山城の一つである。
城の創建は鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の重臣 加藤景廉(カゲカド)が、文治元年(1185年)に遠山荘地頭に補せられたのに始まると伝わる。景廉び長男景朝が岩村に移り、加藤の姓を地名の遠山に改め、以来遠山氏が代々居城し、東濃地方から信州の一部まで勢力下とした。
戦国動乱の時代に入り、天正元年(1573年)武田信玄の臣 秋山虎繁(信友)が岩村城を奪取して入城したが、同三年に織田信長の軍に攻略されて、河尻秀隆が城主となった。その後は森長可(ナガヨシ)、森忠政、田丸直昌と、城主は目まぐるしく交代した。
慶長5年(1600年)の関ケ原合戦以後は、大給(オギュウ)松平本家の松平家乗が城主となり二代、丹羽氏五代のあと大給松平分家の松平氏七代を経て明治維新を迎えた。
城郭は中世城郭を近代城郭へと修築し、本丸 二の丸、出丸、帯曲輪、東曲輪、八幡曲輪等が設けられ、丸と曲輪は石垣や堀切をもって区画され、要所に櫓、堀、門が構えられた。
山城の建造物は明治6年(1873年)の廃城令を受けて競売に付され、すべて取り壊された。」 _ そうです。
ググったら_
この「ビジット恵那.コム~visit-ena.com~」のYouTube頁に ドローンで撮影した岩村城の動画がありました。↓お時間ある方、 よろしければご視聴を。
https://www.youtube.com/watch?v=8rSHorXmvPY&t=113s
では そろそろ下りて参りましょうー。
「段々」を間近に見るため、裏の埋門を通ります。
(↑振り返って見た埋門。)
(↑出丸へ下りるスロープ/猩々袴が咲いていたところ)
(↓菱櫓下へ下りる道。)
(↑↓帯曲輪横。/ 帯曲輪は散策者が歩かないよう 赤いコーンが置かれていました。)
↓来しなに歩いて来た道に合流。
↓振り返ってみた 帯曲輪を持つ石垣。
この後は 宿に入ってお風呂に入って~
・・・
_つづく。