小田原城天守閣 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

小田原城天守閣へ上がってみました。

本丸までの絵は既に貼りましたからー

今回 登城途中の絵はセーブ気味に~。/ 朱塗りの「学び橋」 通過ー。(学び橋は二の丸に小学校を建てた時に通学用に架けられています)

お堀にクランク? なこの場所は_右の二の丸と 左の馬出し門の間、です。

↓この眼鏡橋で堀を渡ると 馬出し門→銅門(アカガネモン)という 前回紹介した「正規登城ルート」。

眼鏡橋の手前からは 本丸曲輪の天守閣が チラ っと見えます。

さ、じゃ今回はあそこへ 上ってみましょう!


 <シーンぬけ>

本丸曲輪の西に建つ天守閣。

市の「福寿カード」(←60以上の市民が頂けるカード)を持つ私達は ここに無料でのぼれるー んですよ♪

カード、有難く利用させてもらいましょう。/ 天主閣には以前もあがっていますが お城は数年前に改修されており(2015-2016年) 展示内容も変わった、と聞くので わくわく。

(↑入口では 検温「ぴ」 が待っていました)

小田原城天守閣は 1960年に外観が復元された「復興天守閣」です。(想像で「盛る」事なく、古い資料から起した図面に従って建てられています。)


(現在建つお城の中では 意外にも 身長(?)全国七位、なんですねー?)
↓内部は「フラッシュ禁止」でしたが ほとんどの展示品は撮る事ができました。

なかなかうまくは写せませんでしたが・・・

(↑小田原城天守閣は 図面がちゃんと残っているんですねー。)
色々勉強になりましたよー。





甲冑。

兜。立てものには蜻蛉!/ ユニークでかっこいい!と思ったのですが 当時蜻蛉は「勝ち虫」と呼ばれ 武家には好まれた虫で 意匠としてもよく使われたらしい。

(尚この兜 持ち主は特定なってないのだそう)

↓吹き抜け階を抜けて上へ。


最上階!

ここには摩利支天が祀られていたそうです。

摩利支天の像が納められていた天守型の厨子。

以前はありませんでしたが、 「平成の大改修」で 摩利支天像の安置場所も造られた、のですって。

(現代の復興天守に かつての安置場所を造る というのは難しい仕事であったらしい。大工さん達の心意気と腐心が伝わるムービーが流されていました。)


↓天守閣からの眺め。

(↑左上に見えている曲輪は「八幡山古廓 東曲輪」。戦国時代の小田原城の遺構、です。)
↓西には 箱根の山々。

↓海辺の有料道路が ぐるぐる~ してる中には「漁港」。

↓大島は・・・残念 左に超うっすらとしか。(右_真鶴半島の三ツ石の上、の初島は そう と思って見るとわかって頂ける かと。)

↓松の向こうに相模湾。(お天気がよければ 三浦半島が見えるはずー)


見下ろせば本丸曲輪。常盤木門も見えます。

↓そうそう、常盤木門の上の展示室もリニューアルなってました。

↓小田原の街。

↓駅。

(↑眼下の曲輪は御用米曲輪(ゴヨウマイグルワ)。/私達が以前住んでいた頃は観光客用の駐車場でしたが。 近年発掘で江戸時代の蔵跡の他 戦国時代の池跡も発見されたといいます。↓興味深い。)
https://shirobito.jp/article/226
↓先日行った図書館の入る 新しい複合施設「ミナカ小田原」も見える。/屋上には足湯もできるそうで グランド・オープンが楽しみです^^)


さて 下りて参りましょう。

(かつては 観覧車 コーヒーカップなどもあった子供遊園地ですが 今はこの豆汽車とゴーカートのみ、になってましたー。/でも まだあった事、嬉しかった。)

では次の項には 常盤木門に出来た新しい展示室の絵を貼りますね?