
↑御所の南東の角。少し北に門が見えたので行ってみました。
↓建春門。

この門の名を門院名に持つのが高倉天皇の母、平滋子。建礼門院・平徳子の御姑様ですね?(って平安時代の御所は この場所ではありませんでしたが・・・)

_しかし閉まっていました。
御所への入口は西側の清所門一箇所だったー。ので、南側を回ってます↓

土塀の下はカッチリした石垣。

排水口まで カッチリ。

仙洞御所へ向かう際も見た 建礼門。


この門は紫宸殿の真ん前に位置しており、かつては即位礼など特別な儀式の時に開かれたといいます。今も天皇陛下や国賓の来訪時にのみ使われる、特別な門だそう。

↑はた、、、。
乗り物でおいでの向きに、この 門の敷居 は邪魔なのでは? ここは「徒歩」の方にのみ用いられるのか それとも利用時にはスロープが取り付けられるのかー・・・。
建礼門の筋の先に 烏丸通に向かって開く門が見えました。


おお、ここが「蛤御門」かー。


「蛤御門の変」で有名な門ですが、名の由来が 「江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたため、『焼けて口開く蛤』にたとえて、蛤御門と呼ばれるようになった」 だったとはー! / で元々は「新在家門」なんですってー?

↓通りから見た御門。


御苑に戻り、改めて「清所門」を目指します。

ここは宜秋門(ギシュウモン)、ですって。

その少し北にあるのが_清所門(セイショモン)。


あ、ここは「敷居が無い」んだー。(牛車で出入できる門は限られていた、のね?)
見学料は 無料。でもセキュリティーはしっかりしていて 手荷物を検査されました。

そして 渡された 首掛け式の見学者パスを下げて~
見学に出発、です。

MAP

↑檜皮葺屋根(ヒワダブキヤネ)葺き替え工事に伴い、清涼殿は見学できない旨 が記されていました。
↓本当はこのMAP付近にあった物ではありませんが、地図とセットの方が分かりやすいと思って ここに貼ります。

抄/_御所とは天皇のお住まいで、古くは「内裏(ダイリ)」と言った。
桓武天皇が長岡京からここ京都に都を移した794年、御所は朱雀大路(現在の千本通)に建てられていたが 火事等で御所が使えなくなると 再建されるまでの間 他の場所に一時的な仮の内裏_「里内裏」が置かれた。
現在の京都御所は そんな里内裏の一つ、「土御門東洞院殿(ツチミカドヒガシノトウインドノ)」がベースになっている。
1331年、後醍醐天皇が京都を脱出された後に鎌倉幕府が立てた光厳天皇(←北朝初の帝)がここをまずは「里内裏」としたが、結局そのまま内裏となった。(北朝を大切にした室町幕府の足利義満が敷地を広げたのを始めとし その後の為政者も整備をしてここを恒久的な御所にしてきた~)))
(↓受付棟内には 休憩所 ショップが。)


受付棟の南に見えた倉。

順路を示す矢印に従って南へ。


上でMAPの下に貼った京都御所についての説明板は 実はここにありましたー。

右手に さっき外側を通り過ぎた宜秋門が。


左手に参内者用車寄せが見えてきました。(公卿・殿上人等限られた人しか使えなかったとの事。)

これは 牛車が使われていた時代の車寄せ。(車を縦につけて乗り降りします。ちなみに牛車は「一方通行」。後ろから乗って 前へ下りる。/のだけどそれを木曽義仲が無視して後ろから下りて笑い者になる~ という話が『源平盛衰記』に出てきますね^^;)

唐破風の上には「経の巻」。

近くにあった案内図。

↑今いるのは図の左下 あたり。
↓門から南へ。


↑↓参内者の控えの間である「諸大夫(ショダイブ)の間」。


格式は高い順に「虎の間」「鶴の間」「桜の間」~との事ですが、

桜

鶴

虎


好きな間へどうぞ と言われたら、私なら 畳縁(タタミベリ)に赤が使われ華やかな桜の間がイーナー。
諸大夫の間の南側の棟の「新御車寄(シンミクルマヨセ)」。



新御車寄の東に 紫宸殿前の南庭(ダンテイ)に入る 月華門(ゲッカモン)。


南庭の向こうに見えるのは日華門。

(↑私的には閂のある門が外開きになっている事に違和感がー・・・)
(↓月華門の一つ南の門は 内開きになってましたが)

塀に沿って南へ歩くと、御所の南の端 に出ました。

(↑左が紫宸殿前の南庭に入る「承明門」、右が御所の南を守る建礼門。)
↓建礼門。

↓南庭。(左の工事用覆い屋の奥に 修理中の清涼殿。/ 正面の藁屋の中は「右近の橘」。寒さに弱いので囲いをされているそうです。)

↓承明門。


改めての 南庭。

紫宸殿。(内裏の正殿)


(_昔は即位式もここで行われていたんですねえー。)
道なりに進むと、正面に(外からも眺めた 御所の巽の門)建春門が現れました。

その少し北のこの建屋は?



春興殿、ですって。(神鏡を一時的に奉安するため、(だけ)にこれだけの立派な建屋が。と考えると「?」ですが、京が東京に移されるまでは神器を奉安する建屋は御所内にちゃんとあったでしょうから これは「あるべき建屋」なのでしょう。)
春興殿の西には 日華門。

↓日華門の北の この建屋は宣陽殿。「天皇の御物の納所」との事。


その先から 実は 東庭を通って 西の清涼殿へ向かう見学路があったのですがー

今清涼殿は修復工事中で入れませんでした。(残念)
門を北へ抜けて「御池庭」のあるエリアに入ります。

ここは東側に池。

(この橋は欅橋)

西に二棟の建屋があります。

手前が「小御所(コゴショ)」。


一部障子が開けられ中の襖絵が見られるようになっていました。

小御所の向こうの建屋は御学問所(オガクモンジョ)、ですがー

その間に「蹴鞠の庭」があります。


_それから
御学問所(オガクモンジョ)



改めて_池。


塀で仕切られたその北のエリアへ行ってみます。


ここにも見事な庭が。(南は「公園」な感じでしたが ここは「プライベイト・ガーデン」って感じですね?)


ここにあるのが御常御殿(オツネゴテン)。天皇のお住まい、です。





改めての、庭_。



(↑奥の小さな建屋は何だろう?)
↓MAPによると正面は「御涼所」という所らしい。

↓その手前は「迎春」。何でも 孝明天皇が書見の場として建てさせた~ ものらしい・・・。

引き返します。(↓御常御殿北側)



順路の案内標識に従い、御常御殿南の庭を通って 西へ抜けます。/ 正面は御三間(オミマ)。



御三間前を通る。





左手に御学問所・北面が見えています。

御三間・西面。

御台所跡を抜けて 受付棟前へ。

いやー 広かったー。そして素晴らしい場所でした。/ でも天皇となられた方は 即位後はめったな事では御所から出られなかったそうですから 社会的立場~ だけでなく 心身の健康のためにも 素晴らしい場所にお住まいになる必要があったのかも。なんて思った事です。
清所門を抜け御所を退出した後は 北へ歩いて乾御門へ。


そして烏丸通を北へ。

それから 今出川通を渡って「今出川駅」から地下鉄に乗って~

宿をとった祇園へ向かいました。/ つづく