西宮神社(えびす宮総本社)-1 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

では道を渡って 西宮(ニシノミヤ)神社_通称「えべっさん」へ。

(↑鳥居前の道は その名も「えべっさん筋」)

この西宮は地名+市名の由来になっている程のお宮ですが、なぜ「西宮」というか、については諸説あるらしい。 / ①京都から見て「西」にある神社群(中核は「廣田神社」)、 ②元々えびすさんが祀られていた場所がここより東にあったため 遷座先のここが「西宮」になった、 ③「西宮」は本来境内の「大国主西神社」をさしていた、、、


今回私が この西宮神社へ行こうと思い立ったのは_
実は先日お参りした「廣田神社 つながり~」。

廣田神社の公式HPで 摂社末社に 西宮神社境内の社が数社挙げられていまして~・・・
http://www.hirotahonsya.or.jp/setsumatsusha.html
ここは 廣田神社にとっては「南宮」なんですねー!(おもしろい)

えらく前置きが分厚くなりましたが~・・・

道を渡った先には
味わい深い 塀に穿たれた潜り戸がありました。

が、見どころは この塀そのもの、だった模様。

↑国の重文、「大練塀」ですって。
へ~(だじゃれじゃないのよ)

その隣には大きな石。脇に「当所干鰯(ホシカ)屋跡」と刻まれた石柱。(調べたけど全然ヒットしないので 二つの間には関係無さそう^^;)

鳥居を潜ります。

丹塗りの「表大門」。

1月10日の「本えびす」の副男選びのスタート地点となるのは ここかー!
↓おや これも「国の重文」ですって。

秀頼の寄進だそうな。 (淀殿も秀頼公も家康から沢山寄進を命じられたのよねー・・・戦略 として)))

門の脇には 梅宮神社。



境内ではこの日「大陶器市」が開かれてました。(連休に合わせてのイベントだったのかな?)


少し行くと、廣田神社にゆかりある、兒社(ジシャですかねー?)がありました。

(祭神は「兒社神」。廣田神社の摂社の末社、ですって)

(↑右奥にチラと見えているのは西宮神社南門)

更に行くと、廣田神社の摂社 南宮神社がありました。

(↓守っているのは子連れの獅子)

社名の由来は廣田神社から見て南だから、でしょうか。「浜南宮(ハマノナング)」とも呼ばれていたと言いますから 昔は今より海岸線が近かったのでしょう。/ 廣田神社の宝物「剣珠」も 元々はここに納められていたそうです。

主祭神は豊玉姫神 。初代天皇神武のおばあ様ですね。 更に市杵島姫神 ・大山咋神 ・葉山姫神が合祀されています。 尚、葉山姫は 山背根子(ヤマシロノネコ)の上の娘で 廣田神社の最初の斎宮。 ついでのオマケながら葉山姫の妹:長媛は 事代主を長田神社に祀っています。すごい姉妹です。

(↑文中に「神宮皇后が豊津浦で得られたという(中略)剣珠」とありますが 『皇室 78号』では 「豊浦津(トユラノツ)」となってますー)
__ ともかくそういう訳で(?)ここはえびすさん よりも廣田神社南宮としての歴史の方が長いんですねー?

さてここで参道は北へ上がります。

境内MAPがあった。



ん?ここは?

六英堂_ 東京丸の内にあった「旧・岩倉邸」、ですって。へ~

今は披露宴会場などとして使われてるらしいー。↓
https://jinjakaikan.com/rokueidou.html

鳥居の手前にー・・・

神馬舎があった。

中にはかわいい白馬と 本物の人参が!



鳥居を潜って更に北へ。

↓これは股野琢という人が勲一等を賜った事への御礼に奉納された物のようねー と思ったら・・・


明治32年に奉納された青銅の神馬(←奉納者は辰馬悦叟氏)の賛碑のー 複製品でした。元の銅板碑は戦時の「供出」で失われていたのです・・・。

青銅の神馬への賛碑はその隣にも_。


(こちらは冷泉為紀さんの字)

由緒書

御祭神_
第一殿 西宮大神(ゑびす様)
第二殿 天照大神 大国主大神
第三殿 須佐之男大神
__ こちらは拝殿の奥に三つの神殿を持つ神社、なんですねー。

では社殿の方へ~

お、「青銅の馬」 がいますぞ?

(馬の写真、もっとちゃんと撮ればよかったなー)
拝殿前。

狛犬さん達。


どこか 妖怪ウォッチのジバニャンに似てるような~ (口角の上がり具合でしょうか)

改めて_西宮神社。全国の「えびす宮」の総本社だそう。
創建は不明ながら 平安時代には 廣田神社の境外摂社として「南宮」がこの地にあり 平安末期から廣田神社摂社名として「夷(エビス)」の名が文献に見られるようになる、と言います。

十日ゑびすの福男選びのゴールは あの神殿前。

(↑幕やお賽銭箱に記されてる神紋は「三つ柏」)
写真では全然わかりませんけど_ 神殿は右(東)から 第一殿(ゑびす様がいらっしゃるのはこちら) 第二殿 第三殿、ですって。三連春日造という造りで 別名「西宮造り」とも呼ばれるもの。四代将軍家綱が寄進した 国宝でもあった先代の神殿は戦火で焼失し・・・ これは昭和36年に復元されたもの、との事。

↓ちょい と離れた所から撮った神殿の屋根。

ぎりぎりなんとか「三連~」な感じがお伝えできる、かなー?
脇の扉の格子から~

これが限界。


さて、
境内には他にも色々あれこれ見るべき所があったのですがー 長くなったので 一旦ここで区切ろうと思います。

つづく。