廣田(ヒロタ)神社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

新池から延命地蔵前を通ってー

御手洗川(東川)を渡りー

ホームセンターの方へ道を渡って、廣田神社をめざします。

が間違ってここで右へ行ってしまったアタクシ・・・

(途中でミスに気付いたのですが 引き返すと余計遠くなるので そのまま行きましたー)

(↑という訳で関西スーパー手前の道から神社へ~)

途中 石柱がありました。

横の看板に「兜麓底績碑(中村治部紋左衛門の水利功績の碑)について」と書かれています。

中村の治部紋左衛門さんは 江戸時代にこの一帯が干ばつに襲われたおり、仁川上流の水を湯の口でせき止めて水を引こうとしたそうです。が二年半に及ぶ工事が完成した後になって 他の村との間に水利権をめぐる争いがおこります。治部さんはこれを仲裁し 流血の事態を回避。/ 明治時代に立てられたこの碑はその業績を顕彰するもの、だそう。

鳥居が見えてきた。


鳥居正面。では改めて神社へ。


様々な お願い や お知らせ が屏風状のパネルに。

こちらのパネルには「広田の杜で見かける野鳥」が描かれています。

参集殿前を通って尚行くと_


手水舎がありました。

手を清め_ 右へ進むと、、、

正面に社殿。

ここが廣田神社_。
(拝殿内では丁度祈祷が行われていて 近くでの写真は遠慮しました)
ご由緒書。

御祭神は 天照大神の荒魂。
神功皇后摂政元年(201年)、新羅討伐から難波に戻ろうとされる皇后の船が 務古(ムコ)の水門(西宮)で進まなくなった。天照大神の荒魂のせいであった。天照大神が「我が荒魂は広田の国に居らしむべし」とおっしゃるので 葉山媛を斎宮としてこの地に祀った~。/のだそうです。

拝殿の西には 松尾神社、 八坂・子安・春日・地・稲荷の五社が。

そしてその北に_

摂社・伊和志豆(イワシズ)神社。

御祭神は伊和志豆之大神。

延喜式神名帳に「摂津国武庫郡 伊和志豆神社」と載る式内社に比定されているそうな。(尚 古い書物には「鰯津社」と書かれているのですって。おもしろい)/ 元はここより1.5km程東南の場所にあった神社。大正6年に現在地に移されています。ちなみに、今ある石の祠は平成2年に造られた物とか。


ひきかえして~


↓社務所の南の 末社/斉殿(トキドノ)神社。

この神社に天照大神の荒魂を祀り鎮められた斎宮 葉山媛の祠だそうです。


さて、廣田神社の末社は 来る途中にも二社見ましたが (五段坂の「武甕槌(タケミカヅチ)神社」と「若宮神社」)、ここから北へ少し上がった五月ヶ丘にも「風神社」という末社があるというので 行ってみます。

(ホームセンターの向こうに見える ぽこり とした山は、「神功皇后が国家平安守護のため山頂に如意宝珠及び兜を埋めた~」 という伝説をもつ甲山(カブトヤマ)。 こう見えて(???)「火山」ですって。)


あと ちょっとだけ つづきます。