天智天皇を神として祀る近江神宮へ伺いました。

↓参道を保育園の子供達がお散歩してました かわいかった^^)

階段を上り~

鳥居を潜って~

手水舎で

手を清めます。

御由緒高札

御祭神は天智天皇(626-672年)
御鎮座は昭和15年。紀元2600年を記念して創建されています。(滋賀県では明治時代から、 大津京で即位し、そして亡くなられた天智天皇を祀る神社を大津に、 という声がわいていた、そうです。その声が創建に結び付いたのでしょうね?)
丁度15日で、向かいの空き地ではとんどの火が焚かれていました。

石段下から見た楼門。

石段を上ります。

門の向こうには 更に石段があり その上に拝殿?

時に_
こちらの御神紋は「桜さざなみ」

近江神宮だけの御紋で 境内の桜と琵琶湖の水が表されている~のだとか。(へー)
_いや 大きな屋根を持つ門、なのかな?

って、これは「外拝殿」なのでした。

一般の参拝者はこの石段を上った先で~

神様にご挨拶します。

奥に見えるのは内拝殿。丁度中では御祈祷が行われており 神職さんが祝詞を上げてらっしゃいました。

外拝殿と内拝殿は回廊で繋がっていましたが、許可なく立ち入れなくなっていましたので

私達が見られるのはここまで。



回廊の外から チラ と神殿部の屋根を拝むのが精一杯。

拝観順路 に従って進むと_

栖松(セイショウ)遙拝殿、という所に出ました。

これは・・・
元々は有栖川宮家の邸内御霊殿だったそうです。有栖川宮家御断絶後、高松宮家が有栖川宮家の祭祀を引き継がれましたが、こちらも御断絶に。かくて平成18年、御霊殿は 近江神宮奉賛会総裁が高松宮殿下でいらっしゃった事等もあり 近江神宮へ移され 両宮家より「栖」「松」の字をとって「栖松遙拝殿」となった~ のだそうです。。。
一回りして楼門前まで戻って参りました。

(↓塀の格子窓には百人一首の札が)

宝物館前。日時計が並びー・・・

↓その奥には漏刻(ロウコク)という水時計の模型が。

(↑オメガが寄進したもの、だそう)
漏刻は「飛鳥宮」に中大兄皇子(後の天智天皇)が作っていますが~(=水落遺跡)、 大津京にも 天智天皇は漏刻を設置し 鐘鼓によって時を知らせた~といいます。
『日本書紀』にその日が「天智天皇の10年(671年)4月25日」と載るので、 それを太陽暦で計算して~
↓「6月10日」を時の記念日と制定した、のですってー(へ~っ!)


漏刻の向こうに車寄せっぽい建屋が見えました。

行ってみるとこれは「大津地方裁判所の玄関車寄せ(明治23年建造)」を移築保存した物、とわかりました。

↑今は 自動車の御祓い処として使われている とのこと。/ なかなかいい利用方法ですわね^^)
時計館・宝物館 も拝見。



(↑リーフレットに載る屏風絵は曽我蕭白の「楼閣山水図屏風」(←Canonの頁にリンクを張っています)ですが これが大変 ファンタジック な絵で「江戸時代にこんな絵を描いた人がいたのかー」とたまげました。(まるで「御伽の国」) / 他にも 珍しい時計のコレクションなど あれこれ見応えがありました。)
退出します。


ありがとうございました。


(↑東の参道正面)
それから 参道の前の「神宮道」をまっすぐ 柳が崎まで行き、「びわ湖大津館」でお昼を食べました。

その話は 次の項で~。