角屋(スミヤ)もてなしの文化美術館 | おだわらぐらし

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今日は 京都島原の「角屋もてなしの文化美術館」を見学して参りました。(二週間前 元揚屋「角屋」を訪ね一階部分を見学しておりますが、その折は美術館が夏季休業中で 二階部分は非公開だったのです。 という訳で今回は二階を見せて頂くための「出直し」です。)

↓JR丹波口駅の方から訪ねています。

↓上の写真では 右の電信柱の影になって写っていませんが_ ここに「東鴻臚館址(ヒガシコウロカンアト)」という石碑が立っています。(鴻臚館は平安の初めに 渤海国の客人をもてなすために建てられた施設、だそうです。東西 鴻臚館が建てられたそうですが ここはそのうちの「東鴻臚館」があった(正確には移された)場所、とか。(元々は羅生門の北、朱雀大路をはさんで 東西鴻臚館が建てられていたといいますから)/ 島原はそんな歴史ある「もてなし文化」を受け継ぐ地だった、という事なんですね?

↓その先の角には こんな石碑が~

↓「長州藩志士 久坂玄瑞の密議 の角屋」(玄瑞は 来年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン(井上真央)の御亭主(東出昌大)ですって。/ ここでどんな密議したんですかね?全然知らないnumabeです^^;)

先々週のブログにも 同じような写真を貼ってますがー

夏の特別公開の時の入り口(角屋さん本来の入り口) は 今回はクローズされてます。

「もてなしの文化美術館」の入り口はその少し南、なんですねー。

潜り門の奥には 赤壁の建屋がありました。ここがチケットブースと 収蔵品の展示所になっていました。(今回は蕪村の屏風絵、 猿の刺繍の打掛(←剽軽なのに可愛くて美しいの!)、 『源氏物語』の末摘花の段、 本物のあわびを使った盃と それへの蕪村の揮毫等が展示されていました)


申し込んだ見学回の時間が近づいてきたので、角屋の建屋内へ~

(↑台所)
↓台所の奥の引き出し階段_。ここから二階へ上がるのかしら と思っていましたが、客用の 階段は 玄関を上がってすぐ の 別位置にありました。今の感覚からは「急勾配!」ながら、上り下りが一度にできる幅広の物でした。

 
この先は撮影禁止でしたので せめて字だけでも打ちたいところですが、
見た量が膨大な上 ボキャ貧なので 字 にできないのでございます^^;)
が ともかく私が興味深く思った事を記しますね。

角屋さんの二階には 宴会用のお座敷が並んでいるのですが、 それぞれ独立して使う事もあれば、 襖をブチヌキにしてセレモニー会場やコンサートホール のようにも使ったそうなのです。又、今風に言うと ウエイティング・ルーム のような小部屋があったり、襖の奥が浄瑠璃の舞台になっていたり・・・と 揚屋という場所 そしてその構造、がわかって 面白かったです。
又 それぞれの部屋の壁、天井、建具、腰板、柱・・・ 何もかもが こだわりをもって作られているんです。全ては お客さんが 特別な時 を過ごせるように、という もてなしの心から~ という説明を受けました。(なるほど)
どのお部屋もそれぞれに美しかったのですが 中でも壁土に螺鈿が嵌め込まれた「青貝の間」は素晴らしかった。今は壁土が和蝋燭の煤で黒くなっていますが (これはこれで美しいのですが) 元の壁は浅葱色(=少し緑がかった薄い青=新撰組の羽織の色)だったそうです。想像すると・・・幻想的~!江戸の昔の人には 海の底の竜宮城に通された様に思えたかも?
あと、蕪村の襖絵と 池大雅の書(どちらも本物!) が一度に拝める「桧垣の間」も 文人達のサロンであった角屋を理解するのに外せない、かなー。


一階、二階、 合わせて鑑賞すると一人1800円を納めなくてはならないのですが、 見学した後は この「みんなの宝」を維持管理するためにお金は必要、この程度の協力金なら喜んで納めましょう、 という気持ちになりましたよ!(見学する前は はい 「ちょっと高いな」と思いましたですが^^;)



さて、蕪村を訪ねるミニ・トリップ_
次は銀閣寺へ行ってみようと考えています。(いつになるかは未定ですがー)