先日、漫画家の芦原妃名子さんが急死されたというニュースが飛び込んだ![]()
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恥ずかしながら、私は芦原氏のことも、ドラマ「セクシー田中さん」のことも知らなかった
。
記事を見る限りでは、原作者の芦原氏とドラマ制作サイド側がトラブルになっていたようだ
。
ちょうどその時、大沢在昌氏の著書『陽のあたるオヤジ 鮫のひとり言』講談社を読んでいる最中。

作中に、原作者と映像化との関係について書かれていた。
この本は、1993年から1年間、週刊プレイボーイ誌に連載されたエッセイ集。
今から30年前に書かれたものになる。
その中の大沢氏のヒット作『新宿鮫』が映画化されたことについて触れている
。
まずは、著書の大沢氏の書かれた内容(抜粋)を整理して紹介する。
① 映画化された今回の作品『眠らない街』以前に2本がドラマ化された作品がある。その作品を見て、共に『気に入らなかった』と告白している
。
② 一般的に、原作者は映像化されたものを見て、気に入ったという話はまず聞かないと言う。ただし、こうした不満(原作者)は、結局無意味だと断言している
。
なぜなら、実在の人間が演じ、イメージ通りになるはずがない。さらに、脚本され、監督の演出を経るので、全く違うものになって当然だから。
③ 映像を見て失望するのはともかく、原作者が怒ってしまったら終わり
。それが嫌なら、初めから映像化をOKしなければよいと言う。
④ 原作者が映画化された作品に満足しない理由、それは作品に対する“愛”としかいいようがない
。
⑤ 映画『眠らない街-新宿鮫』は、私が好きだ、と言うと、インタビュアーの人たちは例外なく驚いた顔をする。原作者が(映像を)ほめる、というのが本当に珍しいことだからのようだ
。
⑥ 映像と原作は“別物”と捉えるべき
。
⑦ 小説は書き手にとって100%、己の手によるもの。(略)当然、作品に対する思い入れは強い
。我が子にたとえられるのも、そのせいだ。比べて、映画とは、大変な数の人々の手になる共同作業の産物である。同じ1本の作品でも、それぞの人で思い入れがちがう。

⑧ 質問:映像化される気分は?
⇒悪いはずがない。なぜなら、映像化されるということは、その作品にそれなりの魅力があるということ
。
⑨ 映像化される作品は、もはや私の作品ではない、ということも実にはっきりと認識させられる。
⑩ 人を楽しませ興奮させることを目的とする、その1点において映画も小説も同じ
。
ここから、私見を述べたい。
既に30年前に大沢氏は今回の原作者と映像化問題にいて、核心を突いていることに感嘆する
。
って言うことは、ずっと以前から原作者と映像化は問題があったことに今更ながら気づかされる。
確かに、自身を思い返すと、小さいころに読んだマンガが実写版としてTV化されたのを見て、『違う』とショックを受けたことを思い出す
。
自分が想像していたアニメの主人公と実際の役者さんの演技の違いに戸惑ったことが今でも鮮明に覚えている。
そこで、まずは原作者の立場で考える。
大沢氏が⑦で述べているように、原作者は原作を『我が子』と例えている
。
だから、映像化された作品を見て、『我が子を奪われた』という感情になることは容易に想像される
。
だから、芦名氏は映像化されたものを見て、腹立たしいし、悲しいし、この気持ちをどうしていいか分からない悲痛な気持ちになったのだろう
。
次に、映像化する側に立ってみよう。
現在のTV業界は斜陽産業の1つとも言われ、TV離れが進んで危機的状態にある
。
そんな中で、ドラマは視聴率がとれる数少ない明るい材料の1つという
。
それでは、何が何でもドラマを作ってヒットさせようと必死なのもうなずける。
当初、原作者と交わした『原作に忠実に再現する』などが反故にされたのだろう
。
以下に、ある記事を見つける。
<ある識者の見解>
原作者である漫画家がシナリオを書く事態にまでなってしまったことは極めて異例。やはり、プロデューサーなりが、そうした事態に陥る前に原作者と脚本家の間に立って、丁寧に調整する作業が必要だった。
まさにその識者が言う通りだと思う
。
今回の騒動では、脚本家が注目されている。
しかし、私からすると脚本家が悪いとは思わない。
脚本家が悪い作品に仕上げようと思うはずがない。
問題は、原作者、脚本家、プロデューサーのそれぞれの思惑が異なったことなのだろう。
いわるゆ、『ボタンの掛け違い』というものだ
。

まずできることは、以下のことだろう。
① 原作者は映像化のオファーに対して、より慎重になること。
② OKの場合はお互いの考えを契約書という形でまとめる。
ノー天気な私
は、ほとんどの原作者は映像化されたことを喜んでいると思っていた。本当はその逆だった
。
今回の問題で、原作者の熱い思い、映像化する側の『わらをもすがる思い』を知った。
まさに、大沢氏の言葉、『人を楽しませ興奮させることを目的とする、その1点において映画も小説も同じ』に尽きる
。
お互いがウィンウィンの関係であってほしい
。
これらの業界も闇が深いとつくづくと感じる
。