昭和62年(1987年)4月
山陰本線京都口50系普通客車列車のうち
834レ・836レ・839レに関して
【S6111Ⅰ-13】
【投稿日 令和4年11月29日】
【追記 令和4年12月1日】
1 はじめに
(1)昭和61年11月体制等
#197、#248、#272、#276等のブログ等をご参照ください。
(2)昭和62年4月 834列車(834レ)について
昭和62年(1987年)4月における、朝の福知山発京都行きの10両編成の50系普通客車列車である834列車(834レ)については、#286のブログにて投稿済みですが、事情により再度その勇姿を引用するとともに、同ブログのURLを添付します。
(R4.8等にアップロード)
<#286のブログURL>
※834レの勇姿を多数引用。また、834レの各駅発車時刻一覧も掲載。
(補足説明2)
※昭和62年4月の834レは、福知山5時36分発京都8時06分着。
(3)昭和62年4月 836列車(836レ)について
昭和62年4月における福知山発京都行きの7両編成の50系普通客車列車である836レについては、以前投稿した#276のブログで記載した昭和62年9月の836レと同じです。今回、事情により、その勇姿を再度引用し、同ブログのURLを添付します。
(R4.11アップロード)
<#276のブログ>
※836レの勇姿を多数引用。また、 836レの各駅発車時刻一覧も掲載。
(補足説明2)
昭和62年4月の836レは、福知山8時発京都11時19分着。
(4)昭和62年4月の834レ・836レ・839レ
834列車(834レ)・836列車(836レ)・839列車(839レ)の運用については、当時の運用に関する資料(下記参考文献参照)によると、次の流れになります。
①10両の50系普通客車列車である834レが京都駅に到着し梅小路に回送された後、福知山側の1両(福付12)が切り離されます。福付12が切り離された後、夕方の9両編成の50系普通客車列車である325レとなります。(下記#314のブログ参照)
②福付12は、昼頃に梅小路に回送される7両編成の836レの福知山側に連結され、夕方の8両編成の50系普通客車列車である839レとなります。
※①・②の運用の詳細については、#248のブログをご参照ください。
※また、325レについては、次のブログをご参照ください。
(5)今回のブログでは
上記(1)~(4)にて記載した列車のうち、今回は839レについて記載します。
2 昭和62年4月 839列車(839レ)
(50系8両)
(1)各駅発車時刻等一覧
(R4.11アップロード)
(2)勇姿
<引用>
※引用元:いずれも旅一郎氏のYouTube動画「【旅情溢れる通勤列車】保津峡1987年9月21日夕方」より。使用については了承を得ています。
※内容は、839レ、とのこと。
※旅一郎氏のYouTube動画のURLは次の通り
(R4.11アップロード)
(3)839レの編成 編成については次の通り
(4)機関車
839レの機関車はDD51ですが、当時の鉄道雑誌(下記参考文献参照)によると、昭和61年11月ダイヤ改正後の839レの機関車は、836レと同様、いわゆる米子のDD51でした。しかし、旅一郎氏の下記YouTube動画(「保津峡客車だらけ88年 二条駅地上時代のカーブ)で確認すると、昭和63年9月については、837レのDD51が米子のDD51でした。
<旅一郎氏のYouTube動画>
(5)839列車の気動車化
上記839列車は、昭和63年10月1日のダイヤ修正(第2回山陰本線普通客車列車大幅削減が実施されたダイヤ修正)で気動車化されました。
しかし、上記839列車が実際に気動車化されたのは、昭和63年(1988年)9月30日だと考えられます。なぜなら、朝の834レが実際に気動車化されたのは、旅一郎氏の下記YouTube動画(「山陰本線京都口客車大削減1988」)から昭和63年9月30日であることがはっきりしているからです。(834レの下り側の1両が切り離され、その1両が836レに連結され、839レになる運用だった。上記1及び上記#248のブログ参照。なお、この件は後日改めてブログを作成予定)
<旅一郎氏のYouTube動画>
3 参考 当時の下り50系客車の勇姿
<引用>1987年夏季の夕方 325レ or 837レ
※引用元:はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏のツイートより引用。使用については了承を得ています。
※この写真は1987年夏季の夕刻、とのこと。山陰本線保津峡~馬堀間。
※はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏の上記ツイートのURLは次の通り
#みんなで50系客車の写真を出そう
— はまかぜ5号@秘密結社 亀の甲🐢 (@ddreamrailway) July 3, 2021
1987年山陰本線京都口
保津峡〜馬堀旧線区間
2枚目は建設中の新線の地蔵トンネルと橋梁の下を通過。 pic.twitter.com/RH2Pl2Kexl※ツイートのリンクをコピーの方法で添付
(R4.11アップロード)
<引用>(R4.12.1追記)
※引用元:はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏のツイートより引用。使用については了承を得ています。
※この写真は1987年夏季の夕刻、とのこと。山陰本線保津峡~馬堀間。
※はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏のツイートのURLは、上記URLと同じであるため、記載省略
(R4.12アップロード)
4 その他
昭和63年10月1日ダイヤ修正で山陰本線京都口普通客車列車が大幅に削減されたこと、平成元年3月の保津峡新線開業、平成元年3月ダイヤ改正(山陰本線京都口普通客車列車→12系2往復)、平成2年3月の園部電化で山陰本線京都口普通客車列車が消滅したこと等その後の経過については、今回は記載省略します。(#197や上記#248のブログ等をご参照ください。)
<参考文献>
・『国鉄監修交通公社の時刻表』(1986年11月号)(日本交通公社)
・『復刻版 国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正』(ジェー・アール・アール編)
・『JR時刻表(弘済出版社)』(1987年4月号、1988年10月号等)
・『鉄道ファン』(1987年3月号)
・旅一郎氏のYouTube動画
・はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏のツイート各種Twitter資料
<Pick>
誤字脱字等があれば、その都度修正します。
引用箇所について転載等禁止
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。