16年目の歯科医師として、日本の歯科界に貢献できる事を考える... | 隠れキリシタンの島で隠れてない歯学博士 高﨑智也のスローライフブログ

隠れキリシタンの島で隠れてない歯学博士 高﨑智也のスローライフブログ

歯学博士/長崎大学臨床教授/東北大学非常勤講師
手術用顕微鏡を全ての診療室に導入し、1本1本の歯を大切にします。
歯科衛生士と共に取り組む予防歯科。
裸眼では見えない噛み合わせの調整、痛みが少ない歯ぐき蘇り手術を行っています。

ふと振り返ると、16年目の歯科医師になっている事に気づく。

学生時代、本当に劣等生だった。

1999年に、歯科医師免許という国家資格を持った時、何かが変わった。

医療行為を行う医師となった。

患者さんの立場からすると、10年目、20年目の歯科医師も、新米も変わらない。

歯科医師は、歯科医師だ。

特に命が関わる口腔外科に携わった事もあり、重みを感じた。

自分は、アホだからと自覚があったので、周りの先輩達に、とにかく教えを請うた。

考えて何かできるタイプではないので、習ったら、すぐに実践した。

そして上手くいかなかったら何故上手くいかないのか本当に考えた。

自分で答えが見つからなければ、その答えを知っている人に教えてもらった。

その行動は、今も変わらない。

それは年上、年下、職種なんて関係なく。

歯科医師になって、30代後半まで、我武者羅に前に進んだ。

週末は、ほとんど家にいなかった。

子育て&家事をほとんどやってくれている妻に、頭が上がらない。

様々な研修会に参加し、学んでは実践を繰り返した。

裕福な家庭ではなかったので、大学&大学院は奨学金を借りていた。

家計が苦しい中、学費、生活費の仕送りをしてくれた両親には、本当に感謝している。

開業時は、自己資金どころか奨学金のマイナス8百万からのスタート。

それなのに、自分が納得する設備、内装にこだわったため借金は莫大。

保証人になってくれた故義父、弟には感謝しきれない。

二人の協力がなければ、今の僕はなかった。

個人事業主の場合、借金は自分の取り分から払い、利息だけが経費になると知ったのは、開業してからだった。

本当にアホだった。

開業しても、研修会にバンバン参加するし、自分だけでなく、スタッフも一緒に学ばねばと人財にも投資を続けた。

患者さんに応援して頂き売上は上がるものの、財政は火の車。

それでも回り続けてこれたから、僕は、本当に運が良い。


僕が、こう生きてこれた秘訣は、なんだろうかと考える。

一言、

人に恵まれている

コレに尽きると思う。

その節目節目で、必ず新しい出会いがある。

刺激をもらい、助けてもらうことも。

本当にありがたい感謝


来年クリニックが10周年を迎えるにあたり、何かやりたいと考えていた。

その答えが見つかったひらめき電球

開業時に、院長という肩書きにせず、何気に『プロデューサー』とした理由がはっきりしてきた。

何のしがらみもなく、僕が医療人として尊敬しているお二人に自由に講演して頂いたら、開業されている先生やスタッフ、これから歯科医療に携わる人にも、歯科医療ってこうだよ、こんなに人のためになるんだよ、そしてやり甲斐があるよ、と伝わるのでは。

小さな西の端の歯科医院が、そんな講演会を企画するの叫びが始動しました。

詳細が決まりましたら、またご報告します。

来年の初冬、何かが九州で起こるかも...

to be continued...


明日も皆様と共に、良い1日でありますようにニコニコ