今日、12月7日午後5時少し前、名古屋の北の空に不思議なものが飛んでいきました。
それは、次回に。
今日は、10月9日の記事です。
TVで、コキアの紅葉がきれいだと、放送されていた場所がありました。
家族で、見に行く事に。
その場所は、岐阜県北部、ひるがの高原でした。
スキー場の閑散期対策のために植えられていたのです。
スキー場は、広いので、この画像のように切り取った世界なら良いのですが、少し物足りなさ
を感じるのでした。
これ以外の見る所も無いので、早々に帰る事にし、途中の白鳥の湯に寄って行く事にしまし
た。
その途中、思いがけない場所を通ったのでした。
妻たちが乗っているので、寄ろうか迷いながら通り過ぎ、数百m走ってから、滅多に通らない
場所だから、やはり寄って行くことにしたのです。
妻たちは全員、眠っていたので、私の行動には反対されませんでした。
その思いがけない場所は、白山美濃馬場の登拝入り口である白山中宮・長瀧寺(ながたき
じ/ちょうりゅうじ)でした。
本宮までは、とても時間が掛かって行けそうも無いので、本宮に行ったと同じことだとされる中
宮で満足する事に。
長瀧寺の前の道の駅に車を停めた時、妻たちが起きました。
道の駅には、白山文化博物館があり、私は、一人で、そこを見学し、妻たちは、ショッピング
にと別れました。
白山文化博物館は、想像していたより、きれいで広くて、入って直ぐに、300インチの超大型
スクリーンが広がって、白山登拝体感をでき、臨場感が凄くビックリしたのです。
その後、妻達と合流して、ここまで来たら、お参りして行かなくちゃ、白山に関わる我が家とし
ては、失礼にあたるからと、妻たちと参拝することに。
長瀧寺は、718年に泰澄によって創建されたお寺で、並んで、白山神社があるのです。
入り口には、長瀧寺と、表本宮白山神社と書かれた門柱がありました。
中尊寺金色堂に供物として入れられていた800年前のハスの種を開花させたハスがありましたが、800年もの間、生き続けられるものなのですね。
ハスの説明書きにあった銅製の虚空蔵菩薩坐像がある石徹白(いとしろ)は、長瀧寺と白山
山頂の中間点にある村で、古くは、神に仕える村として、どこの藩にも属さず、名字帯刀が許
された特別な村でした。
明治維新までは、住人は、社家と、社人とに別れ、社家は、神に仕える事を職とし、冬は、お
札を全国の信者に配ったりしていました。
今でも、我が家には、白山のお札が、町内の、白山神社を担当する人から配られてきます。
この日の出来事は、やはり、私は、白山に結ばれているのだと改めて思い、日帰りで行ける
白山の痕跡を周って、もっと白山を知りたく思ったのでした。
次回は、まだ行けてなかった洞戸の魔物を封印した六社を周った記事です。
お楽しみに。