前からの続きです。
 
******** 目次 *********
(1)揚輝荘の虎と、ニワトリ
(2)同じタペストリーを持つ山鉾の共通項
(3)何故、白雲橋には、鳳凰を乗せなかったのか? それは蓮を表す
 
 
蓮の上に何故、仏様が乗っているのかを、紐解いてきました。
 
その私の説を理解して頂くために、蓮の特徴と、各地の宗教的意味合いを持った場所から繋げてきました。
 
私が一番、その答えを導き出せる場所として選んだ、松坂屋の創始者(伊藤次郎左衛門祐民/すけたみ)の別荘・揚輝荘からの紐解きの続き
 
です。
 
(1)揚輝荘の虎と、ニワトリ
 
この庭園を造った伊藤氏は、中国からこんな物を持ち帰っています。
 
それは、この庭園の迎賓館・聴松閣のエントランスにある虎です。
 
 
これは、祐民が明治11年の寅年に生まれたからで、祐民がいなくても来賓を迎え入れる事を表わしています。
 
それが、一番の理由だと思いますが、祐民には、まだ違う思いがあるように、私は感じるのです。
 
それは、トンネルの向こうの異界から来る魔物を防ぐと言う意味を持たせたのではないかと思うのです。
 
私がそう思ったのは、虎は西方を守護する動物であるからですが、
 
それ以上に、この庭園の池は、琵琶湖を模しているとする私の推測からでもあるのです。
 
トンネルから繋げた竹と、蓬莱伝説から琵琶湖の竹生島を絡めて、伊藤家を見てみると、不思議な繋がりが見えて来ます。
 
竹生島のある長浜は、龍・弁財天伝説と、虎に関わる話があり、月に関わる伝承もあるのです。
 
祐民が龍の中に描いた女性、虎、月がある揚輝荘との符合は、祐民の思いなのではないでしょうか。
 
 
(2)同じタペストリーを持つ山鉾の共通項
 
伊藤家の思想であるのではと感じる物が、まだあります。
 
 伊藤家が販売したタペストリーの不思議です.
 
この松坂屋の前身、伊藤呉服店は、祇園祭の鶏鉾のタペストリーの所有者でもあり、そのタペストリーは、分断され、竹生島のある
 
長浜では、鳳凰山鉾に飾られているのです。
 
このタペストリーが、ニワトリに特化しているように見えます。
 
また、長浜の高砂鉾には、能、竹生島の波乗りウサギが描かれていて、仙人の幕が掲げられています。
 
これは、高く揚がった月の時、現れるウサギで、高砂の翁と、仙人と、住吉のウサギを繋げているのです。
 
長浜には「高月」と言う名の地名がありますが、ここに多く住む人の特徴からも、月との結びつきが深い地と言え、
 
揚輝荘の名前も「高く揚がった輝く月」を意味し、修学院離宮の千歳橋を模した白雲橋(揚輝荘)からは、能の千歳の仙人・翁が、
 
長浜の山鉾と繋がってきます。
 
琵琶湖の竹生島では、「竹」が異界の女神・弁財天へと、修学院離宮を建てた徳川家光から繋げます。(家光と弁財天の記事は、コチラ)
 
松坂屋が関わる同じタペストリーが、何故、祇園では鶏の鉾なのか、私の想像ですが、
 
鶏は、、の字で表します。
 
その意味は、山鉾からも、西方の土の中に呑み込まれて行く太陽の世界を表しているからだと思います(私の説)
 
つまり、これは、古代エジプトの信仰と同じで、山鉾は、以前紐解いたようにピラミッドであり、それは、鳥の姿の太陽神ラーを要している事か
 
らも「酉」に繋がっていきます。
 
修学院離宮の千歳橋に、ニワトリにしか見えない鳳凰が乗っている事からも理解できます。
 
鳳凰はの実しか食べない事からも、竹生島とのつながりが見えて来ます。
 
 
(2)同じタペストリーを持つ山鉾の共通項
 
この分断されたタペストリーは、トロイア戦争を描いていて、この神話は、ケルト文化と繋がるだろうトルコ西部の都市が舞台になっています。
 
ケルト民族は、文字で残さない事から謎に包まれた民族として語られていて、少し考え過ぎですが、揚輝荘に何も残っていない事と重なるの
 
です。
 
これは、祐民が寅年で、揚輝荘の入り口に、虎の置物を置いた事と、タペストリーからの長浜への繋がり、琵琶湖を模したような池からも、ケ
 
ルトに繋がるのです。
 
今日はその紐解きはしませんが、これちょっと不思議な繋がりなのです。
 
これを知った時、伊藤家には、代々この内容が伝わっていたと強く感じたのです。
 
この意味を伊藤家が知っていなかったとしたら、祇園の鶏鉾以外にも、長浜の曳山・鳳凰山に、同じトロイアのタペストリーを伊藤呉服店
 
(松坂屋前身)が販売した事は偶然です。

ニワトリと、ニワトリに似た鳳凰の曳山に重なる事は偶然ではないはずです。
 
 
(3)何故、白雲橋には、鳳凰を乗せなかったのか? それは蓮を表す
 
 揚輝荘の庭園の象徴である、池に架かる白雲橋は、京都の天皇の別邸である修学院離宮の千歳橋を模した物で、千歳橋の上には鳳凰が
 
乗っているのです。
 
私には、鳳凰と言うより鶏にしか見えません。
 
何故、白雲橋には乗せなかったのでしょう。

この鳳凰と弁財天から、恐らく、太陽(=鳳凰)の舟が地平線に沈み、地下の世界に入る事で、女神(=弁財天)の体内に入る古代エジプ
 
トの太陽信仰と重ねていると私は思うのです。

橋を渡る事は、黄泉との繋がりなのでしょう。

古代エジプトでは、太陽神は、鳥の姿をした ラーであるから、日本の酉(とり)が表すニワトリの山鉾がベストなのです。
 
黄泉の入り口は、橋を渡ると言う事ですが、その本来の姿は、水のある場所をトンネルで通る事とも言えます。
 
それは、蓮で表していると言えます。
 
揚輝荘の池に、釈迦の遺骨を納める覚王山日泰寺の五重塔が、橋に重なり映る仕掛けを施してあることが総てを物語ります。
 
この庭園にはトンネルがあるからです。
 
 
蓮の花は、仏様の住む極楽浄土を表している事から、
 
蓮の穴の開いた茎は、水(池)の下にあるレンコン(いくつかのトンネル)とを繋ぐ橋であり、五重塔なのです。
 
そこには、お釈迦様がいるのです。
 
この五重塔のある日泰寺には、お釈迦様の遺骨が納められているからです。
 
白雲橋の上には、模した橋の鳳凰は無く、手彫りの白木擬宝珠(ぎぼし)が乗っている事もそれを証明しています。
 
擬宝珠の由来は、お釈迦様の骨を納める物だからです。
 この橋の欄干にも擬宝珠があるのですが、それは、珍しい、蓮の花の形状なのです。
だから、揚輝荘は、蓮そのものなのです。
 
 
ここまで、私の勝手な想像で松坂屋の伊藤家と、揚輝荘から蓮とを繋げてきましたが、
 
この施しが語られていない事と、タペストリーには、これだけの思い以上の何かが有るように私は思うのです。
 
それは、神の意志のようなものを感じるのです。
 
蓮の特徴・中が空洞は、竹だったり、トンネルだったり、五重塔だったり置き換えられますが、私のブログも、卯の花からこの不思議な世界に
 
入って行った事も運命だったのでしょう。(卯の花の記事はコチラ)
 
また、私が、蓮を見て多賀宮へ、トンネルを使った事も運命だったのかも知れません。
 
 
次回は、私が感じたのは、本当に神の意志だったのかを紐解いて行きます。
 
つづく