被爆建造物 | 遺産、遺跡を求めて…

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見りゃわかるさ(笑)

原爆ドーム周辺に残る被爆建物・・・

原爆ドーム散策時に余った時間を使って付近を散策しました。

時間の都合で少しだけですが、アップしときます。



大正屋呉服店から燃料会館へ・・・(現広島市平和記念公園レストハウス)

昭和4年に建築家、増田清の設計と清水組の施工により、大阪に本店のあった「大正屋呉服店」の新館の店舗として、中島本町(当時の町名)に建てられた。瓦屋根の2階建て木造家屋が立ち並ぶなか、RC造3階のこの建物はモダンな雰囲気をもつ新奇な建造物として人目を引いたといわれる。ショーウィンドウを備えた1階に加え2~3階も店舗となっており、当時としては珍しく履き物のまま店舗に上がることができた。また最上階の3階の窓からは市内が一望できたという。
戦前期の広島で多くの市民に親しまれていた店舗は、太平洋戦争勃発後に経済統制(繊維統制令)が強化された影響で昭和18年末に閉店した。これにともない建物は広島県燃料配給統制組合に買い取られ、組合事務所として使用されることとなり、「燃料会館」と呼ばれた。
広島市平和記念公園レストハウスは、広島県広島市の平和記念公園内にある観光案内所兼休憩所。
















旧日本銀行広島支店 [広島市指定文化財]

昭和11年建築。3階建て地下一階の構造を持ち、被爆時は窓を開けていた3階部分のみが大破したと言います。内部は自由見学可。











内部見学は自由(無料)なのは嬉しいですね。





































被爆の痕跡も数ヶ所確認する事が出来ます。







金庫の造りにクギ付けになってましたwww













アンデルセン(旧・帝国銀行広島支店)

大正14年築。広島市の中心街本通りに位置し、現在はベーカリーショップ・アンデルセンという民間企業の店舗。多少原型は損なわれていますが、現役で活用されてこそ建物としての価値があると思います。


人通りの多い商店街の角なのでね・・・
写真撮ってると、何撮ってるんやろ?みたいな不思議な目で見られますw
きっと知らんのやろね。この建物が被爆建物だって事を。。。
















袋町小学校(旧袋町国民学校)

平成13年まで、完全な姿を残していたのですが、保存の声を無視し、大半が取り壊わされてしまいました。今残っているのは、ほんの一部分だけ。酷い話ですね・・・
爆心地よりの距離460m・・・児童、教職員ら約160人が犠牲になってます。




























階段室の壁に被爆された方が、その様子を知らせる多くの伝言が書き込まれてました。
一部は現在も保存されてます。

現在は当時を再現した書き込みがあります。













旧本川国民学校(現在の本川小学校平和資料館)

爆心地に一番近い小学校(約410m)として大きな被害を受けました。校舎は外部を残して全焼、壊滅し、校長ほか10人の教職員と1~2年生の子どもたち約400人のうち先生1人、生徒1人のみが奇跡的に助かりました。
ちなみに、中沢啓治さんが描いた『はだしのゲン』に登場する学校は、この本川小学校です。
この本川小学校も、同じように残っていましたが、昭和63年にほぼ解体され、わずかな部分を記念に残しているだけです。


平和資料館として内部見学はできるようですが・・・

日曜は休館でした( ノД`)























そんな・・・原爆ドーム周辺に残る被爆建物の一部でした。








      ~おしまい~






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