こんにちは。
みなさん、ご無事でしょうか。

自宅は池袋周辺ですが、こちらは大きな被害は特にありませんでした。
台風一過の晴天で、まぶしい日の光で目覚めましたが、被害の大きさに絶句してしまいます。

昨夜は一日中そわそわしてしまいました。

意識的にニュースやネットを閉じて、読書に集中したりウクレレを弾いたりしていたものの、雨風の音が強くなるにつれて不安も増し、地震も起こり、結局ぜんぜん落ち着かず…。

避難された方、浸水被害に遭われた方の不安はさらなるものだと思います。
平穏な日々が一刻も早くおとずれますように…。

昨日のことを経験して、やはり生活に「癒し」や「娯楽」はなくてはならないものだと強く思いました。

わたし自身、ニュースを見続けていて、不安が煽られ、気が滅入ってしまったからです。

不安な気持ちを長くもっているのはしんどいです。
警戒することも大事ですが、消耗しすぎないことも大事。

不安が大きくなってしまった人の気持ちを少しでも楽にできないか。
そんな気持ちをこめて、今日はブログを書きたいと思います。


昨日で宮本輝『流転の海 第四部 天の夜曲』を読み終えました。


昨日で一気に読み終えたわけではありませんが、ボリューミーな作品のわりには読みやすく、今回も登場人物たちに感情移入しっぱなしでした。

三巻では、愛媛から大阪へ移った松坂一家の暮らしが描かれていましたが、
四巻の舞台は富山へと移ります。

なんで富山?かというと、
熊吾の事業が思いもよらない形で躓いてしまい、一家総出で富山へ移住することにしたからです。

引っ越したのは3月。春の季節だというのに、富山はまだ雪で埋め尽くされている…。
戦前の勢いはすっかり落ち着き、資産もほとんどなくなってしまいました。

雪の描写が松坂家の人生の暗雲を示唆するようで、どうなってしまうのだろう…と冒頭からハラハラさせられますが、松坂一家はくじけず、たくましく生きていこうとします。

病弱だった息子・伸仁(のぶひと)は、愛媛で力をたくわえたのか、富山に移り住んでもすくすくと育ちます。
しかしその一方で妻の房江は更年期障害に悩まされ、ストレスが徐々に溜まっていってしまいます。

熊吾は富山で共同事業を興そうと誘ってくれた知人を頼り富山入りをしましたが、彼と熊吾との思いが噛み合わず、大阪に戻った方が良いのではないかという思いを抱くようになります。

そして熊吾は独断で、妻と子を残し、ひとり大阪へと戻ってしまうのです…。

なんとわがままな!と憤慨しつつも、熊吾の迅速な行動力には圧倒されてしまいます。
房江がただただ気の毒ですが、房江はなんとか乗り切ろうとします。房江のたくましさには敬服するばかりです…。しかし房江のたくましさも限界が来てしまいます。

第四巻では、松坂家に数々の試練が訪れます。

熊吾の事業の失敗。
房江の不調。
金策のために屈辱を受ける。
魔が差す。
新事業を軌道に乗せるべく画策するも裏切られる…。

それでも、松坂家は「大事なもの」を見失わずに、まっすぐにたくましく生きようとします…。

ブログタイトルに載せた言葉
「何がどうなろうと、たいしたことはありゃあせん。」
著者の父の口癖だったそうです。

著者の父は、松坂熊吾のモデルです。

『流転の海』の本質的な魅力は、この言葉が物語の底に根付いているからなのだと感じます。
(小説の中には、あえてこの言葉を用いていないそうです)

『流転の海』を読んでいると、生きるエネルギーをもらえます。

物語を通して、熊吾や松坂一家から「生きるための心得」をたくさん教えてもらっているからです。

そして人生について熟考することの大切さを強く感じます。

自分にとって何が大事なことなのか?
それを考え、自分にとって大事なことを譲らず、見失わずに生きていく松坂家の生き様に強く憧れました。

何がどうなろうと、たいしたことはありゃあせん。
という口癖は、大事なことさえ守れていれば大丈夫!ということなのかもしれません。
松坂家の場合は、言わずもがな、家族。
特に息子の伸仁です。

ということで、4巻もものすごく充実した読書時間になりました。

4巻読み終わった達成感でいっぱいですが、続きが早く読みたいです。

ぜひ、みなさんの人生の娯楽のお供にも、『流転の海』を追加してみてください。

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